Miro: 教室の枠を超えた学びの場
ついさっき、今週の6年生と5年生のmiroを整理していたら端末を持ち帰っている6年生が友達のフィッシュボーンにコメントを追加している場面に遭遇しました。
これまで使わせていたその他のICTのアプリもそれなりの効果がありました(それなりなんて言い方は失礼ですね)。ただ、miroを使うようになり様々な方向にかなり可能性が広がりました。「今、必要とされている学習の展開がmiroならできる。」そんなふうに感じています。
今までだと、、、
1.授業中に友達のノートや成果物を見合う時間をとる
2.付箋を貼る
3.自分の成果物に貼られた付箋を読む
ここまでで終了でした。
教師の側からしても、成果物を返却してしまえば、それがどうなったかは、ノートにでも貼らせていないかぎり、もうわかりません。
ところがMiroだと、、、
1.授業中に友達のノートや成果物を見合う時間をとる
2.コメントを入れる
3.すぐにコメントが確認できる
4.授業終了後もいつでも友達の成果物を確認できる
5.相手への返信を入れたり、何度もやり取りができる。
このやり取りは教師が制限をかけないかぎり、無限に続けることができます。また、授業外の時間でも自由に閲覧ができるので、思う存分友達の成果物を見ることができるし、コメントもできるのです(これはいいこと!)。
ボードの管理上のことでいうと、授業外のコメントは通知で知ることができます(何をやっているのかを把握できるので安心)。その後、コメントを生かして自身の成果物をBRUSHUPする様子も評価できるので(個々の進歩や成長を評価することができる!)、主体的な学びの様子を見取ることができます(ここ大事!)。
学びが一時間の授業で終わらず、興味を深めたり、学び直しをしたりが自由にできる。そんなところが魅力だと感じています。
昨年末からの使用で、5,6年から授業中に「操作方法」に関して呼ばれるようなことはなくなった。マナーやエチケット面でも特に問題はない。次は内容を洗練化させていく段階に入ったと感じています。
Miroは、以前には不可能だった方法で学生がお互いの作業とやり取りできる強力なツールです。インタラクティブな方法でお互いに協力し合い、学ぶための素晴らしいツールです。
Miroを使えば、授業中だけでなく、授業後もお互いの作業とやり取りできるため、トピックの理解を深める機会がより増えます。