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旅日記

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世界各地の旅先で感じたことを徒然なるまま、書きました。
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2016年9月の記事一覧

パレスチナ自治区ヘブロン(1/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(1/4)

エルサレムはイスラム教、キリスト教各派、ユダヤ教が混在する古都。高台から遠くをみると、新造の万里の長城かと思えるユダヤ系とパレスチナ系の人々を分断する「壁」が見渡せます。

そんな旧市街にあるダマスカスゲートという城門に、パレスチナ人のタクシーの運転手が集まる一角があります。そこで、アラブ系の運転手を捕まえ、ガザと共にパレスチナ人の自治が許されたヨルダン川西岸West Bank、ジェリコ Jeri

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パレスチナ自治区ヘブロン(2/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(2/4)

ヘブロンの中心にある古く大きな建物は、半分がユダヤ教徒、残りがイスラム教徒の祈りの場。中にも壁があるのです。コーランを読む声が拡声器から流れるなか、前の広場は重装備のイスラエル軍兵士が四六時中警備に当たっています。パレスチナ人居住区は、そんな広場の脇の陰惨な二重の鉄のゲートを潜った中の薄暗い路地に沿って広がっていました。

パレスチナ人の運転手と共にしか入れない地区。その薄暗い路地の頭上には黒いネ

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パレスチナ自治区ヘブロン(3/4)

パレスチナ自治区ヘブロン(3/4)

出入りは自由にできず、人々は食料を調達し、仕事するために国境を越えなければなりません。それが厳しく制限されると、地下トンネルを掘って密入国です。イスラエル側はそこからハマスなどの兵士が自爆テロとして潜入すると非難します。

それは一部事実でしょう。追い詰められた人々が過激になり、イスラエルに向けて攻撃をします。そのトンネルの入り口が一般市民の住むところにあり、武器を学校や市場に隠しているため、イス

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ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(1/3)

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(1/3)

サンクトペテルブルクにあるドストエフスキーが住んでいたアパートのすぐそばに、食品市場がある。ドストエフスキーもそこに立ち寄って黒パンに紅茶を買っていたかもしれないなどと思いながら、売り場を巡った。

白衣に白いスカーフをかぶったおばさんが並んでいるところでは、にしんの薫製やイクラなどを売っている。イクラはロシア語でもイクラ。そんなことを覚えたのは、ニューヨークはブルックリンにあるリトルオデッサでの

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ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(2/3)

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(2/3)

おっと、そういえばニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるカフェレジオというイタリア系のカフェの奥には、なぜか大きなサモワールがあった。あのカフェでエスプレッソを飲みながらよく知人と話をしたものだ。

そのカフェからほんの2分も歩けばワシントンスクエアに至る。スクエアではストリートパフォーマンスの前に人だかりができ、木陰ではチェスに興じる男達が。そんな広場の角にはとても枝振りのいい楡の木が。その

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ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(3/3)

ドストエフスキーとグリニッジ・ヴィレッジのサモワール(3/3)

「ニューヨーク歴史物語」の企画の取材のため、友人の撮影に同行し、彼のお気に入りのホットドッグ屋で遅いランチをとったことがあった。そのあと、ブルックリンに足を伸ばし、コニーアイランドの錆び付いた遊園地を撮影した。

帰りに寄ったブライトンビーチ。曇天のなか街は重く錆び付いていた。ああ、グリニッジ・ヴィレッジに戻り、カフェレジオで暖かいカプチーノを飲みたいと思ったことを今でも覚えている。

あれから1

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バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(1/3)

バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(1/3)

バルト海。そこは、北の地中海である。古代、地中海を席巻したフェニキア人やギリシャ人は、地中海の東にあるエーゲ海やアドリア海を島伝いに航行した。一つの島が見えなくなると、次の島がみえてくる。古代ギリシャの詩人ホメロスのいう葡萄色の海は、こうして交易ルートとして重用された。それと同じ環境がバルト海にもある。

バルト海に面したバルト三国の一番北に位置するエストニア。そこの首都タリンは旧市街が世界遺産に

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バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(2/3)

バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(2/3)

ノヴゴロドもその後ハンザ同盟に加わり、商業都市として繁栄する。ノルマン人、そしてハンザ同盟の商人達の交易ルートは、タリンなどのバルト海の都市から、ノヴゴロドを経て南下し、キエフからさらに黒海を経て、コンスタンチノープルに及んでいた。そして、もちろんその東端からはシルクロードへ、そして南端からは中東を含む地中海世界全体へ販路が広がってゆく。

旅をしながら歴史に触れるときは、年表に従った退屈な日本の

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バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(3/3)

バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(3/3)

ロシア帝国や、江戸幕府、フランスやドイツなどに近代国家ができるまでの、バルト海と地中海、そしてユーラシア大陸を駆け巡る人々の活発な動きは、我々には余り語られない、歴史のロマンなのだ。

中世ヨーロッパの人々にとって貴重なタンパク源であったニシンの塩漬、さらに穀物や毛皮が、バルト海から大量にヨーロッパにもたらされ、ノヴゴロドやキエフなどには、中部ヨーロッパの織物や地中海の産物が運ばれる。ギリシャ正教

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