休養の意味:聖書をめぐる旅 2/22

2/22(火)
神様が天地創造の後に決めたことは、休みの日です。休みを表す休養には、もう一つ重要な意味がありました。
箴言13章では、待ち続けるキリスト者が神様の望むことか、改めて考えてみました。 

ネヘミヤ記10章

 
'これらすべてを顧みて、わたしたちはここに誓約して、書き留め、わたしたちの高官、レビ人、祭司の捺印を添える。 '

 どんなことを誓約したのか、整理すると次のようになります。

・娘をこの地の民に嫁がせず、彼らの娘を自分たちの息子の嫁にしない
・安息日を守る
・7年ごとの土地の休みを守り、負債を免除すること(安息年)
・神殿の奉仕のために年に1/3シェケル払う
・祭壇の薪を納める
・地の産物の初物と息子の長男、家畜の初子をささげる
・地の産物の1/10を祭司のためにささげる

 誓約の中に「安息日」と「安息年」のことがあり、調べてみる*1と、創世記の中に神様が全世界を創られた話が載っていて、神様も7日目に休んだのだから、人間も休みましょうとあります。休みなく働くことは、身体を壊すことであると、創造主は理解しておられます。何も決めなければ、人間は休みなく働き続ける、働かせ続けてしまいます。
 もう一つ、畑を6年使ったら7年目は休ませるという安息年のこと。これには、6年目に3年分の収穫があるから、7年目を休みにしなさい。同時に、負債を負って奴隷となった人も、7年目には解放されているそうです。土地も人間も、自分たちの所有ではなく、神様のものであるという考えに基づいているのだと思います。
 この考えでいくと、人ができる借金の上限は6年分ということかと思います。途方もない金額の借金から人間は、守られているのが素晴らしいと思います。

 さらに、休むことの意味で「休養」という言葉を調べる*2と、身体を休め体力を回復する「休む」側面と、人間性の育成や、社会・文化活動、創作活動などを通じて自己表現を図る「養う」という側面の2つがあることがわかりました。もしかすると、神様が休みなさいというのは、創作活動で自己表現を図るコトを、人間の人生に計画されたのかもしれません。創造主は創造の喜びも私たちの人生に用意してくださったのかもしれません。
 
 取り急ぎ、私にとっての安息は、昨日からの雪が落ち着くことです。

参照:*1聖書入門.com
https://seishonyumon.com/glossary/%E5%AE%89%E6%81%AF%E5%B9%B4/
*2六訂版 家庭医学大全科「休養」
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%91%E9%A4%8A-477429


箴言13章

3自分の口を警戒する者は命を守る。
いたずらに唇を開く者は滅びる。
12待ち続けるだけでは心が病む。
かなえられた望みは命の木。
24鞭を控えるものは自分の子を憎む者。
子を愛する人は熱心に諭しを与える。

主を待ち望む
携挙を待ち望む
自分が用いられるのを待ち望む

キリスト者はやたら待つことが多いように思うのは自分だけでしょうか?
でも、待ち続けるだけでは心が病むと書いてあります。
神様は、人間が心病むことを望んでおられません。
ここに何か問題があるように思いました。

主は私達と共におられます。
空中に挙げられなくても、地上を今日イエス様と歩くことができます。
私は地の塩、世の光としてすでに役割が与えられています。

待ち続けると思っていたことの中には、今ここからはじめられることがあります。
主の祈りにあるように、地上が天国のようになるよう天国とのパイプ役として、私達の使命があります。

日々、イエス様と歩いているうちに、空中に引き上げられる時が来ます。ハレルヤ!


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