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このようなことをしてはならない:聖書をめぐる旅11/21

11/21(日)
列王記下17章は、今までの次々変わってきた王様を総括するような章です。神様の計画と人間の反逆、そしてその末路が明らかにされています。
詩編は、神様を訪ね求めるとどうなるか、示唆があたえられました。 

列王記下17章

6ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。
7こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、 8主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。
12主が、「このようなことをしてはならない」と言っておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。
13主はそのすべての預言者、すべての先見者を通して、イスラエルにもユダにもこう警告されていた。「あなたたちは悪の道を離れて立ち帰らなければならない。わたしがあなたたちの先祖に授け、またわたしの僕である預言者たちを通してあなたたちに伝えたすべての律法に従って、わたしの戒めと掟を守らなければならない。」
15彼らは主の掟と、主が先祖たちと結ばれた契約と、彼らに与えられた定めを拒み、空しいものの後を追って自らも空しくなり、主が同じようにふるまってはならないと命じられたのに、その周囲の諸国の民に倣って歩んだ。
23主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられた。イスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている。

→北イスラエルの民が、アッシリアという強国の捕囚となって異国に連れ去られたという記事がこの章の中心です。神様が「駄目だ!」と言っていたのは、何でしょう?それは、真の神ではない、偶像を拝むことです。命の源の真の神様がいるのに、偶像を拝むように仕向けるのは悪魔の策略です。そして、罪が中に入った人間はわかっていても、自分が作った神の方に、歴史や風習がよしとした神の方に流れてしまいます。
 神様は、イスラエルの民に度重ねて警告をしています。私が知っているだけでも、次の3つはあります。

①十戒の中で駄目だと伝えた
②すべての預言者をとおして伝えた
③隣国の脅威をとおして伝えた

 偶像を拝んだ結果、人間はどうなったでしょうか。空しいものの後を追って、自分も空しいものになったとあります。今、人間「が」作った神様ではなく、人間「を」作られた神様に立ち返るときです。神様は、人間が捕囚のように連れ去られることを望んでいません。アッシリアの捕囚は、死へとつながれている人間の行く末を暗示しているようにも思えます。

39あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。」


詩編70編

5あなたを尋ね求める人が
あなたによって喜び祝い、楽しみ
御救いを愛する人が
神をあがめよといつも歌いますように。

→今日は久しぶりに義理のお母さんの家を訪問しました。
気にはなっていましたが、なかなかタイミングがあわず、1か月以上ご無沙汰しておりました。母はいつも喜んでくれて、コーヒーをいれてくれて歓迎してくれます。母のところに行くと、自分が大切にされていることを改めて感じます。
 今日の聖書箇所では、神様を訪ね求める人のことが書いてあります。人間の親が子どもたちを歓迎してくれるように、父なる神様も、人間が訪ねていくことを喜ばれる方です。神様は黙っている方ではなく、人間に対してあらゆる方法をとおして、語りかけておられる方です。「私の元に来なさい」、それは上の列王記下からも、伝わってきます。私たちは、神様の前に進み出る時に、自分の存在が価値あるものであり、自分たちには神様から与えられる貴い計画があることに気付きます。今、この世のものに限界を感じた方こそ、真の神様の元に立ち返るときです。十字架のイエスキリストは、人間の罪深さと、そこから命がけで解放してくださる神様の愛の両方をあらわしています。今日、神様のもとを訪ねてみませんか?私も、その恵みに預かる一人です。

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