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彼はわが前に道を備える:聖書をめぐる旅 8/13

8/13(土)
 今朝は余市の海岸で書いています。本日で聖書をめぐる旅が、最後の章となりました。1日2章のゆっくりとした歩みでしたが、濃厚な聖書の旅でした。また、毎日文章を書くことが、神様を信頼すること、自分自身の物書きとしてのアイデンティティを取り戻す機会になりました。神様は私たちの人生に必要なものを備えてくださっていることに感謝します。また、毎日かかさず聖書通読を先導していただいた教会の兄弟、読んでいただいた皆様に心から感謝します。

マラキ書3章

1見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
10十分の一の献げ物をすべて倉に運び
わたしの家に食物があるようにせよ。
これによって、わたしを試してみよと
万軍の主は言われる。
必ず、わたしはあなたたちのために
天の窓を開き
祝福を限りなく注ぐであろう。
17わたしが備えているその日に
彼らはわたしにとって宝となると
万軍の主は言われる。
人が自分に仕える子を憐れむように
わたしは彼らを憐れむ。
20しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。
23見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
24彼は父の心を子に
子の心を父に向けさせる。
わたしが来て、破滅をもって
この地を撃つことがないように。

 旧約聖書の最後、マラキ書3章はやがて預言者エリヤが遣わされることが語られています。
これは、新約聖書の初めに登場する「荒れ野で叫ぶ声」と自称したヨハネのことです。

 今日のキーワードは「備える」です。
主が来られる前に道をそなえるヨハネ、
献金をするために備えること、
神様が備えているその日に、私たちが宝の民となること。

 私が子どものころに所属していたボーイスカウトでは、
「そなえよつねに」というモットーがありました。
ひらがなで書いてあったので、当時意味がよく分かりませんでしたが、「備えよ常に」という意味であることを知って、感慨深いものがありました。ボーイスカウトでは、ハイキングやキャンプがあり、特徴的だったのは子どもたちのグループでいつも行動し、仲間で問題を解決することを学びました。備えよ常には、ハイキングやキャンプにいつ出かけても大丈夫なように備えること、自分のことだけでなく他の人も助けられるように備えること、と思っていました。
ただ、これを聖書を学んだあとに読み返してみると、
神様が再び来られる日のために備えよ常に、ということともとれるなあと思いました。

 奇しくもこの文章を書いている今日は、キャンプの朝です。久しぶりにキャンプでは、入れたつもりの皿が入っていなかったり、短パンを忘れたり、ハプニングが続出です。ただ、あるものを工夫して過ごすこと知恵も、キャンプの楽しみです。
そして、自然の中に身を置くと、創造主なる神様がつくられた海、緑、星、月、そして太陽からその偉大さを改めて感じます。私自身の心もリフレッシュされます。キャンプの楽しさは、創造主なる方に思いをよせる備えの一つにもなります。

 さて、父の心を子に、子の心を父に向けさせる
エリアの登場する時を心待ちにして旧約聖書が終わりを迎えます。
朝日が必ず昇るように、神様が来られる日が備えられていることに感謝します。また、この聖書をめぐる旅は、毎日予定の1日前に聖書の解説を発信してくださった教会の兄弟の先導と、読んでくださる方々に励まされて続けられたものです。
わが前に道を備えてくださる方がいて、続けることができました。
皆様に心から感謝いたします。

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