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このほかに、いないのですか?:聖書をめぐる旅 1/15

1/15(土)
歴代誌下18章では、空気を読まない預言者ミカヤが登場します。詩編125編を読み進めると、武田信玄を思い出しました。

歴代誌下18章

イスラエルの王は、四百人の預言者を召集し、「我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それともわたしは控えるべきか」と問うた。彼らは、「攻め上ってください。神は、王の手にこれをお渡しになります」と答えた。 6しかし、ヨシャファトが、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と問うと、 7イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、いつも災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」


 日本には空気を読むという文化があります。
自分の考えがあっても、人数の多い方の意見に流れる傾向があります。
 今日の預言者ミカヤは、王の前で400人が「戦いにいった方がいい」という預言をしているのに、自分だけは異なる預言をしました。
400人がGOサインを送っているのに、自分だけはNOです。
このことから、私自身学ぶことがあります。
「空気を読んで、本当に伝えるべきことを、伝えていなかったのではないか?」
彼の信念は「預言者は、神様の想いを伝える者である」というアイデンティティーだと思います。
私たちクリスチャンのアイデンティティは、地の塩、世の光です。そして、この世に終わりがあることを伝える役割があります。
 ミカヤが見た幻は、「偽の預言を王の前でするという悪い霊の策略」でした。他の400人は騙されたのに、彼だけが神様の御心を伝えることができたのは何故でしょう?
彼は、空気を読むことよりも、神様の想いをストレートに伝えることに徹しました。そこには、悪霊が悪い想いを振り払う信念があったのかもしれません。日本の中でクリスチャン人口は1%ほど。少数派であっても、神様のグッドニュースを喜んで伝えていきたいです。
 時に、水を差す者でありたいと思います。


詩編125編

1主を信頼する人は、シオンの山のように、
どのような状況でも動じません。
2エルサレムがその周囲の山々に守られているように、
主もご自分の民を取り囲んで、守ってくださいます。


 最近思わされていることは、主との関係をまっすぐにすると、
自分に自信がつくことです。
礼拝が受けるモノと考えていた時と、ささげるモノと考えたときでは
まったく気持ちが違います。そして、不思議ですが神様にささげるとそれ以上に私たちに応えてくださるように思います。
また、主との関係でこの世は私たちの居場所ではなく、天に居場所があると思うと、この世の様々な出来事に振り回されなくなります。
 今日の聖書箇所は、新共同訳からイメージがわかなかったので、リビングバイブルから引用しました。主に信頼する人は、山のように動じません。
よく読むと、武田信玄の風林火山の山を連想します。
「疾はやきこと風の如く、徐しずかなること林の如く、侵おかし掠かすめること火の如く、動かざること山の如し」
 私たちは、神様に信頼すると、神様が私たちを取り囲むように守ってくださいます。外は嵐であっても、山小屋の中では暖もとれるし、安心して次の朝まで休むこともできます。今日も、感謝です。雪でもハレルヤ!


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