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何故、死んだのか?:聖書をめぐる旅 12/9


12/9(木) 
歴代誌上10章は、イスラエルの王サウルの最後の場面を記述しています。なぜ、彼は敗れたのでしょうか。
詩編88篇は、人生の先を見通した人の悲痛な叫びを感じました。

歴代誌上10章 

13サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。 14彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された。

→歴代誌の記者は、サウルが戦死した理由を書いています。サウルが死んだのは、主に背いた罪、主の言葉を守らず口寄せに伺いを立てた罪のせいと。自分の任命者であり、熱情の神様である主をないがしろにすることは、とんでもないことです。また、歴史的にはイスラエル軍がペリシテ軍に負けたように見えていますが、そのことを行ったのは、主であるとも。神様は、すべてのことを支配しておられます。たとえ、サタンが策略を巡らしたとしても、その遥か高い次元から見ておられ、主が主導権を握っておられます。

詩編88編

4わたしの魂は苦難を味わい尽くし
命は陰府にのぞんでいます。
5穴に下る者のうちに数えられ
力を失った者とされ
6汚れた者と見なされ
死人のうちに放たれて
墓に横たわる者となりました。
19愛する者も友も
あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。
今、わたしに親しいのは暗闇だけです。

→自分の命が、死へとつながれているものであることに気付いた人の詩のように思います。
どんなに元気な人でも、やがて年老いて、死に至ります。どんなにお金持ちでも、やがて年老いて、死に至ります。コヘレトの言葉では、そのことを空しいと語っています。
 親の介護をしていると、ときどきやがて自分もこのようになるのか・・・ということを考えます。そして、すこし落ち込みます。聖書には、永遠の命とは、イエスキリストを知ることだとあります。洗礼を受ける人生は、死に打ち勝ち、新しい人生へと変えられる人生です。外側の身体は年老いても、内側には命の泉が流れています。
 光は闇に打ち勝ちます。

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