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沈黙:聖書をめぐる旅 11/13

11/13(土)
世の中が動く時、その発端には神様の動きがありました。ここでは、2つの国の王が倒され、新しい時代がスタートします。
詩編62編は、「沈黙」について考えてみました。 

列王記下9章 

1預言者エリシャは預言者の仲間の一人を呼んで言った。「腰に帯を締め、手にこの油の壺を持って、ラモト・ギレアドに行きなさい。 2そこに着いたら、ニムシの孫でヨシャファトの子であるイエフに会いなさい。あなたは入って彼をその仲間の間から立たせ、奥の部屋に連れて行き、 3油の壺を取って彼の頭に注いで言いなさい。『主はこう言われる。わたしはあなたに油を注ぎ、あなたをイスラエルの王とする』と。そして戸を開けて逃げて来なさい。ぐずぐずしていてはならない。」

→この章は、油注がれたイエフが、イスラエルの王アハブそしてその当時同盟状態にあったユダの王アハズヤを討ちます。さらにアハブの妻イゼベルを討つ場面です。イエフの活躍によって、南ユダ王国は、北イスラエル王国と対立路線を歩み、神へと立ち返る機会になったとのことです。
 私が気になったのは、この発端になるのが預言者エリシャが預言者仲間の一人を呼んで、イエフに油をそそぐように指示したことにあります。
これは、イエスキリストが弟子たちを任命して悪霊を追い出し病をいやす権威をあたえたことにつながると思いました。召命を受けた者が仲間をつくり、その仲間がさらに同じことをする。神様の御心は、広がるようにできているのだなあと思わされました。

詩編62編

6わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。
7神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは動揺しない。
8わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
9民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。

→今日は「沈黙」に注目してみました。
クリスチャンは、声を出して祈ったり、賛美をささげたり、
とにかくにぎやかな印象がありますが、
神様の前に、静まって進み出ることも大切なのだとおもいました。
言葉にならない心を注ぎだすことを神様は待っておられます。
世の中を生きると、理不尽なことに出会います。
善意をもってかかわっても、必ず善意が返ってくるわけではありません。
みんなが同じ条件で育つわけでもないし、家庭も、両親もバラバラです。
不条理な世の中を生きるうえで、心をおだやかにできるのは立ち返るところがあるからです。
神様が自分を創造し、今ここに生きることに意味がある・・・と
思いを巡らせます。人にやさしくなれるようになったのは、自分に目的があるように、他者にも神様の目的がある・・・ということに気付いたときです。
沈黙は、自分、そして神様に向き合う時間なのかもしれません。

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