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リーダーシップとフォロワーシップ:聖書をめぐる旅 1/7

1/7(金)歴代誌下10章、ソロモン王の息子レハブアムは、周囲のイスラエルからそっぽを向かれてしまいます。詩編117編は、全地全能の神様を考えてみました。 

歴代誌下10章

4「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします。」
10彼と共に育った若者たちは答えた。「あなたの父上が負わせた重い軛を軽くせよと言ってきた民に、こう告げなさい。『わたしの小指は父の腰より太い。 11父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる。』」
16イスラエルのすべての人々は、王が耳を貸さないのを見て、王に言葉を返した。「ダビデの家に我々の受け継ぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。ダビデよ、今後自分の家のことは自分で見るがよい。」こうして、イスラエルのすべての人々は自分の天幕に帰って行った。

→ソロモンの死後、息子のレハブアム王は、周囲のイスラエルとの関係づくりに失敗します。理由は、父の時代の長老の勧めに従わずに、若者の勧めに従って、周囲のイスラエルに今まで以上に苦役を科したからです。みんなからつまはじきにされてたレハブアムは、ユダだけの王になってしまいました。
 リーダーシップが成立するのは、フォロワーシップがあるからです。
新約聖書では、イエス様が、弟子の足を洗うシーンや、復活した後漁師に戻ってしまったペトロを炭火の前で迎えるシーンなど、みずから弟子に仕えることを伝えておられることを思いました。ダビデ王も、自分の前の王、サウル王に対して命を狙われても、決してその命を自分の手で奪うことをしませんでした。フォロワーシップを発揮できる人がよいリーダーシップを発揮できるとも言えます。
 私たちにはよいお手本があることを感謝します。
 

詩編117編

1すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。
2主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。
ハレルヤ。

→こんなに短い聖書箇所、潔い!と思いました。聖書をずいぶん読んできたつもりになっていましたが、この短い章はある意味発見です。
すべての国、すべての民のみなさん、主なる方は
全地全能の神様、私たちの救い主です。
 ところで、神様が「全地全能」であることは、聖書のどこに書いてあるのでしょう?
いくつかある記載の一つはヨブ記42:2で、ヨブが主に答えています。
「あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。」
「光あれ!」という言葉だけで、この宇宙を創られた方をほめたたえます。
この方が、私たち一人ひとりを貴い存在として見てくださっています。

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