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あるものを代償にして買い求める:聖書をめぐる旅 1/1

1/1(土)
新年おめでとうございます。元旦の札幌は、吹雪です。
原稿ができた喜びで、コピペ作業を間違えて、一度全文を消してしまいました。しかし、恵みによりもう一度書き直すことができました。歴代誌下4章は身を清める「水」から、詩編111編は「贖い」から考えてみました。 

歴代誌下4章 

1ソロモンは青銅製の祭壇を造ったが、その長さは二十アンマ、幅は二十アンマ、高さは十アンマであった。 2彼はまた鋳物の「海」を造った。直径十アンマの円形で、高さは五アンマ、周囲は縄で測ると三十アンマであった。
6彼は清めのために洗盤を十作り、右と左に五つずつ置いた。その中でいけにえの用具が洗い清められ、「海」は祭司が身を清めるために用いられた。

→神殿に入るときに、水で清めるしくみが配置されています。
これは、日本の神社にもあるしくみと同じだなあと思います。
「海」と呼ばれる器の大きさを見ると、この器の中にお風呂のように入るのかと思いましたが、どうやらこの器から、水を汲んで手や足を洗ったようです。
水で足を洗うというと、イエスキリストが弟子の足を洗ったシーンを思い出します。
ペトロも全身を洗ってくださいとイエスキリストに頼みますが、汚れている足を洗うだけで充分だと言われます。もちろん、足を洗いつつ神様の前に進み出ますが、私のイメージするイエス様は非常に私たちに近い方です。
畏敬の念を持ちつつ、友なるイエス様に近づきたいと思います。


詩編111編

9主は御自分の民に贖いを送り
契約をとこしえのものと定められた。
御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
10主を畏れることは知恵の初め。
これを行う人はすぐれた思慮を得る。
主の賛美は永遠に続く。

→「贖う」をデジタル大辞泉でひくと、「罪のつぐないをする」「あるものを代償にして手に入れる。また、買い求める」とあります。
この詩編でいう「贖い」とは、イエスキリストのことです。
そして、神様は、イエスキリストを代償にして、私たちを買い求めてくださったというのが、グッドニュースです。
 神様を畏れることが知恵の初めと言います。
これは、箴言の中にも同じようなフレーズがあった気がします。
神様から見た私たちの価値を知ることが知恵の始まりです。
「私の目にあなたは価高く、尊い」(イザヤ43章)
新年、皆さまに新しい道が開かれますように!


 

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