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神の山ホレブ:聖書をめぐる旅 11/1

11/1(月)
人は何故山に登るのか?そこで神様に出会うためです。
神様が求めるいけにえとは何か?それは、動物でもなく、人間の「告白」でした。 

列王記上19章
 
4彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」
7主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。 8エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。
15主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。 16ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。 17ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。

→イゼベルの言葉に意気消沈したエリヤが導かれたのは、ホレブ山でした。
神様は、人間にその場でインスピレーションを与えることができると思うのですが、あえてその場所に導くことがあります。ホレブ山を調べてみると、モーセが神様にであった場所です。燃える柴の中に神様を見たところです。出エジプト記の中で「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」とモーセを召命した場所です。
この時、意気消沈しているエリヤを40日40夜も歩かせて神様はホレブ山に導きます。エリヤは、次の時代を象徴する人たちに油をそそぐように、神様の命を受けます。
エリヤ自身も次のエリシャにバトンをタッチする指令を受けます。
その時代の王や、たくさんの敵の預言者と対決したエリヤも、一人で責任を負うことのつらさを感じていたのかもしれません。(ところで、イエスキリストがモーセとエリヤと話をしていた山というのは、このホレブ山ではないか・・・と思わされました)


詩編50編

4神は御自分の民を裁くために
上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。
14告白を神へのいけにえとしてささげ
いと高き神に満願の献げ物をせよ。
15それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。
そのことによって
お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」
23告白をいけにえとしてささげる人は
わたしを栄光に輝かすであろう。
道を正す人に
わたしは神の救いを示そう。」

→旧約時代、神様にいけにえをささげることで罪を赦してもらっていました。しかし、ここでは動物のいけにえも元は神様のものであるから、それでは不十分だと神様は語ります。そして、神様が求められるのは「告白」です。「告白」をいけにえとしてささげる人に、栄光をあらわそうと語られます。心の中の暗いものを抱えたまま、生きてほしいと思っていません。神様の前に告白することは、悔い改めにつながり、命に至る道です。私たちの心は、神様の宿る宮ですから、そこに神様以外の苦いものを治めてほしくないということなのかもしれません。神様にだけは、心の重荷を下ろすことができるのは、大きな恵みです。

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