裏切りの中にあっても:聖書をめぐる旅 8/10
8/10(火)
今日の士師記はサムソンとその愛した女の裏切り、そして最後のサムソンの祈りが記載されています。新約聖書の箇所では「思い煩い」、すなわち「心配」をどうしたらいいのか、聖書の語る「恵み」について語られています。
士師記16章
3回も自分を裏切った女の元にとどまるサムソンの気持ちはどうだったのでしょうか?
来る日も来る日も、秘密をうちあけるように迫る女に、サムソンは秘密を話してしまい、ペリシテ人にとらえっれ、両目をえぐりだされて、見世物にされてしまいます。
サムソンの最後の祈りです。自己犠牲の姿は十字架の死刑を受け入れられたイエス様に重なります。サムソンは、目の見えない姿で、見世物の建物を支える柱を破壊し、敵のペリシテ人を建物もろとも死に陥れます。
1ペトロ5章
心配を神様に任せることができるのがキリスト者の特権です。私たちの心がせまくて、押しとどめることができないことも、神様の前にゆだねることができるのです。心配をゆだね、こころはいつもフレッシュな状態です。
信仰と同時に恵みという言葉も、新約聖書の中に多く出てきます。恵みとは、努力して勝ち取ったものではなく、一方的な好意によって与えられるプレゼントです。
即ち、神様による人間の救いとは、神様からの一方的なプレゼントです。それが用意されています。人間は、進み出てそれを受け取るだけです。私が救われたのは、私の努力ではなく、神様の一方的なプレゼント、恵みのおかげです。これは、すべての人々に用意されているものです。
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