見出し画像

裏切りの中にあっても:聖書をめぐる旅 8/10

8/10(火)
 今日の士師記はサムソンとその愛した女の裏切り、そして最後のサムソンの祈りが記載されています。新約聖書の箇所では「思い煩い」、すなわち「心配」をどうしたらいいのか、聖書の語る「恵み」について語られています。

士師記16章 


15デリラは彼に言った。「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたはわたしを侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった。」 16来る日も来る日も彼女がこう言ってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、 17ついに心の中を一切打ち明けた。

 3回も自分を裏切った女の元にとどまるサムソンの気持ちはどうだったのでしょうか?
来る日も来る日も、秘密をうちあけるように迫る女に、サムソンは秘密を話してしまい、ペリシテ人にとらえっれ、両目をえぐりだされて、見世物にされてしまいます。

28サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」

 サムソンの最後の祈りです。自己犠牲の姿は十字架の死刑を受け入れられたイエス様に重なります。サムソンは、目の見えない姿で、見世物の建物を支える柱を破壊し、敵のペリシテ人を建物もろとも死に陥れます。

1ペトロ5章


7思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

 心配を神様に任せることができるのがキリスト者の特権です。私たちの心がせまくて、押しとどめることができないことも、神様の前にゆだねることができるのです。心配をゆだね、こころはいつもフレッシュな状態です。


12わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。

 信仰と同時に恵みという言葉も、新約聖書の中に多く出てきます。恵みとは、努力して勝ち取ったものではなく、一方的な好意によって与えられるプレゼントです。
即ち、神様による人間の救いとは、神様からの一方的なプレゼントです。それが用意されています。人間は、進み出てそれを受け取るだけです。私が救われたのは、私の努力ではなく、神様の一方的なプレゼント、恵みのおかげです。これは、すべての人々に用意されているものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?