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キリスト教の「原罪」を知ることで心が軽くなるという話。

こんばんは。今日も音声で執筆します。

皆さんはキリスト教の原罪という言葉を聞いたことがありますでしょうか?原罪とは、キリスト教の旧約聖書で、アダムとイブが神様に食べるなと言われた禁断の果実を食べることを発端としています。

禁断の果実を食べたアダムとイブは、罪を犯したことになります。アダムとイブの子孫である人間たちは、この罪を背負って生きていくことになります。人は生まれながら罪人であるというのがキリスト教の原罪の考え方です。

私たちは日常的に罪の意識で悩む事は当たり前のことなのです。この考え方に立つと、日々小さな罪ややってはいけないことをしたときに、嫌な気持ちやストレスを抱える必要がなくなってきますよね。

言い換えれば、人間は誰だって罪を犯す。なぜならば、人間は生まれながら罪人だからである。大事なのは、罪を犯さないことではなく、犯した罪を贖うこと、罪を償う気持ちです。

仏教ではこの現在と言う考え方がありません。仏教では人間の持つ煩悩を消し去ることが、救いにつながります。いくら煩悩を消したとしても、過去から続いてる罪の事実は消えないのです。キリスト教ではこの罪の意識は、万人にそなわっているものです。なので、何か行き詰まった時や自分が嫌になったときは、人間は生まれながら罪人である、だからその罪を贖うことで救われるのだと思うようにすると心が軽くなります。

そんなことに気づいたので今日はシェアをしました。



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