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土鍋ご飯戦争

 事の発端は、ソロキャンプをテーマにしたYouTubeの番組だった。土曜日の夕方、夫と二人でその動画をぼんやり見ていたのだが、燃え上がる焚火の上に置かれた土鍋と、そこで炊きあげられたほかほかでつやつやのごはんを見て、居ても立っても居られなくなった。こういうときの我々の行動力は恐ろしく早い。
ちょうど食材の買い出しをしたかったのも相まって、すぐによく行くスーパーへ向かい、3,000円くらいの手頃なサイズの土鍋を購入した。土鍋で炊くご飯、蓋をあけたらぶわっと立ち上る甘い匂い、濡れたようにきらめくご飯粒、そして香ばしい「おこげ」…まだ見ぬ土鍋ご飯を思い描きつつ、私と夫はご飯を炊く支度を始めた。

 まず、米粒を水に漬け給水させる。ボウルに米と水をはり、15分ほど放っておき、土鍋に移す。水はお米の9割の量入れて、蓋をしめて強火にかける。沸騰するまで待ち、そのあとは超弱火で蒸らし、その間は絶対に蓋を取ってはいけない… といった具合で順調に手順を進めていた。はずだったのだが、10分ほどたったところで尋常じゃない香ばしい匂い、というかシンプルに焦げ臭くなり始めた。何かがおかしい。蓋を開けてみると、一見白いご飯なのだが、鍋肌にはおこげなんていうつつましいものではない、どこに出しても恥ずかしい真っ黒な焦げ(というか炭)がへばりついていた。なんてこった、これではどうにもならないではないか。救えたご飯の部分も、芯があってそのまま食べられたものではない。仕方がないので冷凍し、いつか雑炊にでもしよう。
 東北出身の私の夫は、米が無駄になることに対して厳しい。焦げと私に向けられた冷たい目線から逃げるべく、私はおかず作りに専念し、土鍋ご飯を夫に託した。焦げたということは、高温になりすぎて水分が蒸発してしまったのではないか。そう仮説を立てた夫は、弱火の状態で沸騰までもっていき、早々に火を止め蒸らしに入った。が、その時点で鍋肌に焦げの赤ちゃん的なものが生まれていたため、やや焦り気味に蒸らし工程を終えた。結果、こちらもがっつり芯が残り、食べられなくはないがあまりおいしくはない状態だった。
 意気消沈した私たちは、「絶対失敗しない土鍋ご飯」といったYouTube番組やネット記事を漁り続けた。どの記事でも「土鍋ご飯は簡単で美味しい!」と高らかに宣言されており、2回も失敗した直後の私たちの気分をさらに盛り下げた。土鍋、難しくない?
普段、料理でどうにもならない失敗をすることが少ないため、非常に苦い気持ちになった。大学生のころ、料理を始めたての時に、野菜が生煮えのクソマズカレーを作ったときを思い出した。日常生活で発生する失敗の中でも、料理の失敗というのは特に心に響く。2回もご飯を炊いたせいで食べ始めたのも22時を過ぎており、「もう土鍋なんて散々だ」と思いながら布団に入った。

 翌日。昨日の疲労感が抜けないまま、昼前まで布団にくるまっていた。隣で寝ていた夫が先に起きたが、私はだらだらとスマホをいじっていた。布団の中は天国だ、一生ここにいたい。布団とのアバンチュールを楽しんでいた私の耳に、なんだか聞き覚えのある「シャーッ」という水音と、「サラサラサラ」という細かい粒状のものが落ちる音。まさか。そんな。
 恐る恐る「もしかして、ご飯炊こうとしている?」と聞くと、「うん」と返事があった。まじか。夫の土鍋ご飯への執念におののきつつ、私は布団から這い出た。キッチンをのぞくと、昨日の忌まわしき土鍋に米と水をセットし、これ以上なく真剣な表情で火を見つめる夫がいた。こわっ、と心の中でつぶやきつつ、横のコンロで豆腐とわかめの味噌汁をこしらえることにした。炊き立てのご飯を朝(昼だが)に食べるなら、やはり味噌汁である。あとは軽めのおかず、ということでさくっと作れるだし巻き卵にした。これでご飯さえ炊ければ立派な和食の朝ごはんである。問題はご飯が炊けるかだ。
 夫は昨日の失敗をふまえて、慎重に沸騰させつつ、鍋肌に触れるお米が焦げないようかき混ぜた。おかゆ状になったら火を止め、蓋をしてかなり長めに蒸らし時間をとる。沸騰させた時点ではまだ米には芯があり、蒸らしている間に熱が入ってふっくらと炊き上がる。という、ネットで得たばかりの知識をフル活用し、とにかく待った。

 3回目の土鍋ご飯はかなり控えめに言っても柔らかく、べちゃっとしていた。が、食べると少し芯が残っている。柔らかいのに硬い、相反する要素が米の一粒一粒に宿る不思議。「3回目の正直」ではなく「二度あることは三度ある」の方だったようだ。まあ、食べられないことはないし、味は炊いたご飯の味だったので、昨日よりは進歩しているが、成功とはいいがたい。蒸らす時間がもっと必要なのか、火力の問題なのか。米という食べ物の性質も、ご飯が炊ける仕組みも、全然理解できていない。そして、炊飯器は素晴らしい。スイッチを押すだけで美味しくご飯が炊けるなんて、これを文明の利器を言わず何と言おう。きっと先人の中にも、ご飯がうまく炊けなくて苦しんだ人がいたんだろう。その人々の思いが炊飯器という機器の開発につながったに違いない。ありがとう、ご飯炊くのに失敗した先人の方々。
 こうして2日間にわたる土鍋ご飯戦争は、一時休戦状態となった。だれか、土鍋でご飯を美味しく炊くコツを教えてください。できればうちのキッチンの火加減を見た上で指導してほしい。

 戦いは、まだ終わらない。


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