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茶筒と、母への苛立ちと、

あ、茶筒が欲しいのか。

食器棚を拭きながら、そう思った。

小さい頃、家にあった茶筒は桜の木の皮が施されたもので、蓋を開ける時に「すぽん」という心地よい音がした。

表は木の皮で施されていたけれど、中はステンレスで、筒を揺らすと茶の葉がステンレスに当たって、冷たく乾いた音を出した。

茶筒の蓋をスポンと開けて、ステンレスの内蓋を開けると、ステンレス同士が擦れ合うような感覚的に痛い音がして、ちょっと嫌だった。

それでもお茶は好きだったので、幼い頃の僕はよく茶筒を手にとっていた。桜の木の皮の模様がぴったり合わさるように蓋を回す。

本体と蓋がぴったりと合わさると、また少しずらしてみたり、合わせてみたりして楽しむ。

僕はそんな事をして、
お茶をよく飲む男の子だった。

父が亡くなって実家に帰った際、たくさんのお茶の葉を貰った。

実家はもう粉のお茶に切り替えていて、茶筒もどこかにいってしまったようだった。

けれども毎年親戚がお茶の葉をくれるので、使わずに余ってどんどん増えてしまうのだと母が教えてくれた。

「モノは良いのよ」と母は言った。

実家を整理している時に、姉が和室の押入れの奥からお盆を見つけてきて、

「これ、もらっていい?保育園のおままごとにちょうどよさそうだから。」

そう母に聞いた。すると、

「だめだめ。良いモノなんだから。」

と言って、母はお盆を姉からはがし取った。

父の葬儀を終えて、ビニール袋に入れられた大量のお茶の葉を抱えて家に帰ってきて、近所にこのお茶を配ろうかと思ったが、母の顔が浮かんだのでやめた。

賞味期限の切れたものか、ギリギリのものばかりだったので、配るには忍びないし、実家と同じように急須でお茶を淹れる家も減ってきたし。

それじゃあ、僕1人では消費し切れる気がしないこのお茶を、どうしよう。

しばらく考えて、お茶に入る事を思いついた。

お茶パックに茶葉を詰めて、湯船に放り込み、入る。

お茶に含まれるビタミンCが塩素を中和し、カテキンなどの成分が肌を健やかに導いてくれる。

母に言ったら怒られるかな。

「良いモノなのに、もったいない。」

とかなんとか言って。

しばらくお茶に入る事にハマっていたが、ある時とても良い入浴剤を見つけてしまった。

使ってみたらそっちの方が断然良くって、あえなく風呂でのお茶の出番は無くなった。

それでも賞味期限の切れたモノは使い切れたし、ここからは地道に飲んでいくか。

そう思って、しばらくは何も考えず地道に飲んでいた。

ある日の午後、食器棚の器をひとつひとつ手にとっては棚を拭く事をしていたら、茶葉を入れている円筒形のタッパーを手にとった時に、
なんだか “あれ?“  と、思った。

“なんで、桜の木の皮じゃないの?“

って。

いや、当たり前だ。円筒形のタッパーには桜の木の皮は施されていない。それは当たり前のことだ。

つまりは、なんで僕は円筒形のタッパーなんかにお茶の葉を入れているんだろう?そう思ったら、途端に味気ない気持ちが心から湧いてきたのだった。

あ、茶筒が欲しいのか。

そう、僕は、茶筒が欲しいのだった。

実家に連絡して桜の木の皮の茶筒を探し当ててもらおうかと思ったが、そうではない気がした。ステンレスの冷たい音が嫌だったし。

僕が手に入れるなら。

僕が手に入れたいのは、全て木でできた、木をくり抜いて作ったような茶筒だな。

蓋を開け閉めする時に、気持ちの良い空気の音がして、蓋と本体の模様が合っている茶筒。

いつまで眺めていても、触っていても心地の良い茶筒。

たかが茶筒のことなれど、たかがと思ったらおしまいなんだ。

小さなことから積み重ねた方が、
いざ大切な時に、すぐに動けるチカラもつくし。

茶筒はすぐに手に入れることができた。

考え事をする時は、茶筒の模様を合わせたり、蓋を開け閉めしたりして、茶筒を触っている。

蓋を開け閉めすると、木と木の隙間で空気がもまれ、しゅーっと抜けていく。

模様を合わせたり、ずらしたり。

そのように、
考え方や捉え方も
変えていく事ができるんだよね。

眠っているモノを、
いとしく思い患う母も。

そんな母に苛立ちを覚える
母の息子である僕も。

模様を合わせたり、ずらしたり。
時には擦れ合って、空気が漏れたりもする。


そりゃあ、そうだ。



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