見出し画像

捉え方ひとつで、過去は書き換わる。

よく向き合ってきたなと、今、改めて思います。

中学2年生の頃、いじめに遭っていた。

いじめの主犯格の人が4人程いて、その4人が僕の筆箱を黒板消しにしたり、宿題してきたノートに落書きをしたり、ほうきで十字架を作ってはりつけにしたりもした。

教室ではりつけにされた時、廊下をふと見たら担任の先生が見えて、それで担任の先生は僕に気がついて目が合ったのだけれど、直ぐに目を逸らして歩いて去っていってしまった。

クラスのほとんどの人からは無視されて、主犯格の人に支持されてやった事が担任の先生にバレて、呼び出しを受けて叱られたりもした。

僕は、いじめられることは嫌だったけれど、でもそうされるのにも意味があるに違いないのだし、僕にも非があるに違いないと思っていた。

今考えれば、ここで嫌だと言って全てを放り投げることもできたわけだけれど、僕はここで学校に行かなくなったら僕の居場所はきっと完全になくなってしまうだろうと思い込んでいて、だから何としてでも学校に行きたいと強く思っていたので、そうした。

それに、実は嫌な事をしてくる人ばかりではなかった。ほとんどのクラスメイトが僕に声すらかけてこない中で、1人、僕と変わらず接してくれた人がいた。それがとてもありがたくってしょうがなかった。

その人が僕の席の後ろの席になった時はすごく嬉しくて、とても安心したのを覚えている。安心し過ぎたのか、授業中にうっかりすかしっ屁をこいてしまって、それが大層臭かったらしく、トントンと僕の肩を叩いて無言で睨まれたりもした。

それから、驚くようなスーパーヒーローにも出会った。

スーパーヒーローは教育実習の先生で、その人は僕のクラスを受け持った。関西弁で話がとても面白くって、それでいて出っ歯な先生だった。

ある日、僕がいじめっ子に外に追いやられて困っていた時。4人がゲラゲラと笑いながら僕をなじっていると、遠くから猛ダッシュで出っ歯がかけてきて、4人を蹴散らして怒鳴り、そして僕を助けてこう言った。

「大丈夫か?」

僕はこんな強い意志と勇気を見た事がなかった。そんなスーパーヒーローに大丈夫か?と聞かれたわけで、僕はそれだけでもう救われたのだった。僕はもうこの言葉だけできっと大丈夫だ、と思った。

いじめは1年間続いた。

3年生に上がると、いじめの主犯格4人どころか、僕と変わらず話してくれていた人以外の全員が、僕とは別のクラスになった。

あれは夢だったのか?と思ったくらいだ。僕は3年生になって、全くいじめられなくなった。

ある日、僕をいじめていたうちの1人が廊下に落ちていた。落ちている1人に、何人もの人が集り、ゲラゲラと1人を笑っていた。

あぁ、こうやってバランスは保たれるのかもしれないな、と思った。

僕はいじめられたこの過去を、自分の至らなさが生み出したものと長年捉えてきて、でも悔しかったり嫌だと思ったことがあったのは事実だから、その時の気持ち、感情を解放させたいと思って、いろいろなワークを取り入れてきた。

それはインナーチャイルド癒しだったり、先日記事にした「未来ノート」の著者、佐藤由美子先生が提唱している10秒スイッチのワークだったりする。

その他にもやれる事は色々やってきたと思う。

その上で、今日、奥敬子さんのエニアグラムというものを使ったコンサルを受けた。

※エニアグラムについては、ここには書かない。うまく説明できるかわからないからだ。興味があったらググっていただくか、奥さんがとてもマニアックに詳しいので、ここにホームページを貼り付けておきます。

奥さんのコンサルの流れで僕のいじめに遭ったエピソードを話したところ、奥さんからこう言われたのだ。

「よく1年間も耐えましたね!」

ああ、確かにそうかもなぁと思った。
奥さんは次にこう言った。

「嫌なことに真っ向から挑み、その中でも光となる人の出会いをきちんと受け止めて糧にしてきたから、今のひじきさんがあるんですね。」

そう言われて、

ガビーン!!

という衝撃が走った。

だって、僕は我慢してきた自分をそのように評価はしていなかった。いじめられていた事を”自分が至らなかったから”と思ってきたし、”怒りを表現できなかった過去”と捉えてきた。

だから、嫌なことに真っ向から挑んだという捉え方は、実に斬新で、衝撃だった。でも、そう捉えてみると、これまでみつめてきた過去の景色が、がらりと変わった。

自分のネガティブなところとポジティブなところは、表裏一体で存在している。

いま僕は、それをしっかりと腑に落とすターンにきているのかもしれないと、今回思った。

真に肚落ちしたその先に、どんな未来が僕に待ち受けているだろうか?

「未来ノート」の紹介記事のトップ画像にパラリンピックの記念硬貨をあげている。今回も配置を変えてトップ画像にしてみた。

あれは、ある日ふと財布をひらいたら出てきたもので、いつのまにか僕は記念硬貨を手に入れていた。

記念硬貨に描かれている競技はマラソン。選手と伴走者がタスキで繋がり、共にゴールを目指している。このコインは、偶然僕の財布に転がってきた訳だけれど、僕はなんだかこれは偶然ではない気がしている。

奥さんのコンサルは継続で申し込んだので、今後も僕の進化は続いていく。

進化?

いや、「再生」かもしれない。

※再生の物語といえばこちら↓

今日も読んでくれて、ありがとうございます!

それではまたー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?