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【第71回】信教の自由と政教分離 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

1. 明治憲法下の信教の自由

明治政府は江戸時代以来のキリスト教の禁止を解きました。明治憲法で、

日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

明治憲法第28条

と規定されました。

しかし、次第に特別の待遇を受けることになる宗教が現れます。神社神道です。

明治政府は、神話にもとづく天照大神あまてらすおおみかみの言葉、「神勅」を政治体制の基礎に置きました。そして、天皇は天照大神の子孫にして神であるというのです。★

神社は一般の宗教から区別して、公的な性格が与えられました。具体的には、神社は公の法人とされ、神官・神職は官吏とされました。政府内でも、一般の宗教は、文部省の所管でしたが、神社については、内務省神社局、後の神祀院の所管とされていたのです。

一般の国民に対しても、事実上神社の参拝が強制され、宮中の神社的儀式に参列することが、関係官吏には職務上の義務となっていました。

しかしこれでは、明治憲法との整合性が怪しくなります。仏教やキリスト教徒比較して、神社を優遇したり、国民に強制したりすることは、明治憲法が保障していた信教の自由に反することになりそうです。

そこで明治政府が用いていた理屈は、「神社は宗教にあらず」ということでした。神社は、単なる祖先崇拝の祭りにすぎず、「宗教」ではないから、国が優遇しても、国民に強制しても、信教の自由には反しないのだ、というものです。

これはいかにも詭弁というべきでしょう。明治憲法に国教としての規定はなかったとしても、ほかの宗教以上の特別の宗教としての地位を与え、事実上国教としての地位を与えていたというほかはありません。

この神道国教制は、日本国憲法の制定前にGHQによる「国家神道の禁止」の指令(「国家神道(神社神道)ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)により廃止されました(1945.12.15)。日本の天皇は、その祖先あるいは起源の故に、他国の元首より優越し、日本人は他国民より優越し、日本の島は、神聖な起源のゆえに他国よりも優れている、という教義が、日本の神道に織り込まれていることから、軍国主義への道に進んでいったと考えられたからです。

第20条 第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

日本国憲法

日本国憲法の信教の自由に関する規定が、ほかの精神的自由権の規定と比べると、やや詳細な規定ぶりになっているのは、こうした歴史的背景があるのです。

★脚注

明治憲法は、告文こうもんに、「皇朕スメラワ天壌無窮テンジョウムキュウ宏謨コウボシタガ惟神カンナガラ寶祚ホウソ承継ショウケイシ」とし、上諭ジョウユに、「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ子孫ニ伝フル所ナリ」としています。いずれも、天皇の統治大権は歴代の天皇から継承したもので、以降歴代の天皇はこの憲法の定めに則って統治を行うべきであるという趣旨です。天皇の地位は、国家・国民の意志を超越する神の意志、皇祖神の神勅に基づくという体前がとられていました。

2. 国家と宗教

国家と宗教とのかかわり方は、国によってさまざまです。

まず、国教制度を維持しながら、他の宗教に対しては寛容な態度をとる国があります。

イギリスその他の君主制の国では、その君主が特定の宗教の信者であることをその資格要件とし、その宗派に何らかの公的地位を認めていることがあります。イギリスでは、国家元首(王または女王)が同時にイングランド国教会の首長になることになっています。

次に、国教制度はとらないものの、国と宗教団体との間に一定の協力関係を認めるもので、公認宗教制度と呼ばれる形態をとる国です。ドイツやイタリアがその例として挙げられます。

ドイツでは、宗教団体が公の法人として教会税を賦課し、徴収する権限が憲法上保障されています。

3つ目が、国教の存在を認めずに、国家と宗教とを分離する、政教分離制度をとる国です。
 この中にも、かつてのソ連のように、「宗教はアヘンだ」として、宗教に対して否定的な観点から、徹底的に分離しようとするものもあれば、アメリカやフランスのように、宗教に対して友好的な観点から、分離をしようとする国もあります。

立憲民主主義は価値相対主義を前提としています。政治に絶対的な正しさはなく、その時々の多数を占める考え方をとりあえずその時点での正しいことと考える―誤った考え方は思想の自由市場で淘汰されると考える―ものです。これに対して、宗教というのはどうしても絶対的な正しさ、絶対的な悪、というものを説きがちです。

日本では戦前、事実上国教化された神道によって、他の宗教だけでなく、ほかの人権―表現の自由など―もなぎ倒していったという歴史があります。政治と宗教が結びつくと、他の宗教に対する弾圧となりうるだけでなく、他の人権に対しても脅威となることを示しています。

日本国憲法では、20条だけでなく、89条で財政的側面からも、政教分離の制度を裏づけています。政教分離の制度は、個人の信教の自由の保障を徹底しようとするための制度ということができます。

《コラム》制度と人権

近代市民革命以前は、国の秩序は、もっぱら客観的な規範によって成り立っていました。国家の権力はこの規範に従って規律される、と考えられてはいましたが、個人が国家に対して権利を持っている、とまでは考えられていませんでした。マグナ・カルタで国王の恣意的な逮捕・監禁や課税を禁止し、権利請願(1628年)で議会の同意のない課税を禁止し、権利章典(1689年)で議会における言論の自由などが定められましたが、これは国家の権力が制限されていることの反射として、個人の地位が保障されていた(反射的利益)にすぎなかったのです。

これに対して、個人の側に「権利」を認め、この人権を侵害しないように客観的な規範を整備したのが近代市民革命における人権宣言だったといえます。

客観的な制度に対比して、人権は「主観的な」権利と呼ばれることもあります。憲法第3章の規定はすべてが主観的な人権規定とは限らず、国家の権力を制限した客観的な制度だと考えられるものもあります。政教分離規定がその一つといえます。

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