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【第80回】財産権② #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話


1. 損失補償

3項は、私有財産を「公共のために用ひる」ことができ、その場合には「正当な補償」をなすべきだとしています。

(不法行為に基づく)損害賠償という概念は一般になじみのあるものと思われます。違法性のある原因で損害を与えた場合に用いられ、国などの公の機関の場合には、国家賠償法という法律があります。

これに対して、違法性のない場合には損失補償という概念が用いられます。

どのような場合に損失補償をすべきかについては、「特別の犠牲」に基づく損失の場合だ、と考えられています。そして、「特別の犠牲」にあたるかどうかは、①侵害行為の対象が広く一般人か、特定人ないし特別の範疇に属する人かという形式的基準と、②侵害行為が財産権の本質的内容を侵すほど強度なものかという実質的基準によって判断するというのが通説的見解です。

たとえば、①駅前再開発であるとか、道路を拡幅するために土地・家屋が収用される、というケースでは、周辺地域の人々に対して、対象地域の人は特定人ないし特別の範疇に属する人、ということになります。

また、②建築基準法による建物を建てる際の制限程度では財産権の本質的内容を侵すほど強度とはいえないでしょうが、文化財保護法で重要文化財に指定されると、現状変更などに制限が課されるようなるなどかなり強度のものと評価されると考えられます。

2. 「正当な補償」とは

「正当な補償」とは何かについて、伝統的に、完全補償説と相当補償説の対立があると説明されてきました。

完全補償説は、公共のために用いられる財産の客観的な市場価格を全部補償すべきだとするものです。

これに対し、相当補償説は客観的な市場価格を下回ってもよいとするものです。

最高裁は農地改革事件(最大判昭28.12.23)で相当補償説を採用したのですが、後に、土地収用法事件(最判昭48.10.18)で土地収用法による補償について完全補償説的な立場を採用したといわれています。

ところが最高裁は、改正された土地収用法をめぐる平成14年判決(最判平14.6.11)では農地改革事件判決を引用して土地収用法71条を合憲と判断し、学者を戸惑わせています。

この点、判例は「完全」「相当」といった言葉を、学説が前提とする意味で使い分けをしていない可能性があるのではないか、という指摘もあります。そもそも、完全補償といっても、唯一の正しい「市場価格」を認識することは難しいと考えられます。路線価や公示価格など、公的に評価された額が異なることもあれば、市場価格は時代や開発計画の有無・内容など、さまざまな事情に左右されるからです★。

★長谷部恭男・石川健治・宍戸常寿編『憲法判例百選Ⅰ[第7版]』(2019年・有斐閣)216頁(早瀬勝明)

3. 補償規定がない場合

ところで、「公共のために用ひる」ための法律を制定したのだけれども、その法律には特別の犠牲にあたる人に対して補償規定がなかった場合、あるいは、補償規定があったとしても、その算定基準が「正当な補償」の額に達していなかった場合、どのように考えるべきでしょうか。

「正当な補償」があることによって「公共のために用ひる」ことが正当化されるのだから、補償規定がない場合あるいは不十分であるには、その法律を違憲・無効であるとするのも1つの考え方かもしれません。

しかし、補償の点を除けばその法律自体の必要性・合理性が認められる場合に、丸ごと違憲・無効とするのではなく、直接憲法29条3項に基づいて補償を請求できると考えるのが通説といってよいでしょう。最高裁も、河川附近地制限令事件(最大判昭43.11.27)において、「損失補償に関する規定がないからといって、……一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、……別途、憲法29条3項を根拠にして補償請求をする余地が全くないわけではない」としています。

4. 予防接種禍事件

損害賠償・国家賠償と損失補償の違いについては先に触れました。予防接種禍事件は、公務員の過失による不法行為責任を問う国家賠償と財産権の適法な収用に必要な損失補償のいずれにもあたらない「国家補償の谷間」の問題ともいわれます。

かつての予防接種法は、罰則をもって何人にも接種を受ける義務を課し、インフルエンザ等の予防接種は国の行政指導により地方公共団体が勧奨していました。

予防接種は、接種者が注意を尽くしても不可避的に死亡を含む重篤な副作用が生じる場合があるため、「悪魔のくじ」といわれることもあります。

1952(昭和27)年から1974(昭和49)年の間に、予防接種法に基づいて行われた予防接種の副作用のために死亡し、または後遺症を被った被害児およびその両親らが、国に対し損害賠償、国家賠償または損失補償を請求したという事案です。

予防接種を行った医師の行為は、そもそも違法でないとすれば、損失補償の問題になります。しかし、損失補償制度は、「財産権」の侵害についての問題でした。

死亡を含む重篤な結果が出ている以上は、違法行為だと考えることもできますが、一般的にいって医師に「過失」があるということは難しいでしょう。そうすると、国家賠償請求権についても成立しなくなってしまいます。違法・無過失のケースが救済の谷間になっていまっているのです。

第一審(東京地判昭59.5.18)は、「財産上特別の犠牲が課せられた場合と同様、生命・身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで、後者の方を不利に扱うことが許されるとする合理的理由は全くない」としたうえで、「憲法29条3項を類推適用し」、直接憲法29条3項に基づき、国に対し正当な補償を請求することができるとしました。

これに対し、控訴審(東京高判平4.12.18)は、財産権に対する適法な侵害に対する補償を定めた憲法29条3項を根拠に損失補償請求権を導き出すことはできないとしたうえで、厚生大臣(当時)の過失を広く認めて、被害者の救済を図りました。これは、補償があれば生命・身体を収用できることになりかねないという批判(名古屋地判昭60.10.31)を意識したものかもしれません。

法規範は、これから行為をするにあたって働く「行為規範」と、すでになされた行為や手続を振り返って、それにどのような法的評価を与えるかというときに働く「評価規範」を分けて考えるべきだという考え方があります。憲法29条3項について、行為規範としては生命・身体の収用は許されないけれども、すでに発生してしまった被害に対して、どのような救済方法があるか、という観点から、評価規範として類推適用を認めるのだとすれば、「国家補償の谷間」を埋めることができるのではないかと考えられます。

5. 新型コロナウイルス感染症のワクチン接種について

現在は、予防接種は強制ではなく、個人の判断に委ねられています。新型コロナウイルス感染症のワクチンも強制接種ではなく、「あくまで個人の判断で接種してください。但し、接種を推奨します」ということになっていました。

自己責任なので国は責任を負いません、ということにはなっておらず、「予防接種健康被害救済制度」というものがあり、副反応の程度により、医療費、通院日数や入院日数に応じた医療手当、障害が残った場合には等級に応じて障害年金、亡くなった場合には死亡一時金などが支給されます。詳細は厚生労働省のホームページを参照してください。

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