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【第58回】改めて表現の自由とは何を保障しているのか⑩ 知る権利(わき道にそれて犯罪報道について⑤忘れられる権利について) #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

EU一般データ保護規則(2016.4.27)


EUでは、一般データ保護規則というのがすでに2016年から存在していて、第17条に「削除権(忘れられる権利)」が規定されています。

その内容は、個人データが不要になった場合、データ主体が公表の同意を撤回した場合、個人データが不法に処理された場合などに、個人データの削除等を請求する権利をデータ主体に認めるというものです。

ある歯医者さんの裁判

犯罪の前科について、忘れられる権利が問題となった事案ではありませんが、興味深い裁判例が名古屋地方裁判所でありました(名古屋地判平15.9.12)。

厚生労働省が、歯科医師の保険医の登録取消処分等の記事をホームページに掲載していました。まさに制裁的意味合いのある公表ではないかと考えられますが、問題は、この歯医者さんが、保険医の再登録等が可能となった後も厚生労働省のホームページでの掲載が続けられたことに対して、名誉及び社会的信用を毀損されたとして、国家賠償請求訴訟を提起した、というものです。

名古屋地方裁判所は、保険医としての欠格期間(資格が欠けている期間のこと)の経過によって当然にホームページでの掲載の必要性が消滅するものではないとしましたが、保険医療業務を再開した歯医者さんにとっては、その被る被害は大きく、欠格期間経過後までホームページに掲載し続ける必要性、合理性はそれほど高いとは言えないとして、慰謝料請求を認めました。

犯罪に対する刑罰の話ではありませんが、違法行為に対する処分が公表されているという点、そして、法的な制裁については完了した後も、公表が続いていた、という点でも共通するものがあります。

この事件は、名誉および信用毀損に基づく国家賠償請求訴訟という、「忘れられる権利」そのものが争点となったわけではないですし、かつ、最高裁ではなく地方裁判所の事件ではありますが、忘れられる権利を考えるうえで参考になる事件だと思われます。

日本における「忘れられる権利」

「忘れられる権利」という言葉が使われたのは、日本の裁判では平成27年12月22日のさいたま地方裁判所の決定が最初と言われています。

これは、犯罪を繰り返すことなく一定期間を経た者に対して、逮捕歴を表示することは「更生を妨げられない利益」を侵害するおそれが大きいことや、一度は逮捕歴を報道され社会に知られてしまった犯罪者といえども、人格権として私生活を尊重されるべき権利を有するので、ある程度の期間が経過した後は、過去の犯罪を社会から「忘れられる権利」を有するとしたものです。

最高裁ではまだ、「忘れられる権利」を明示的に認めたものはありません。

しかし、近年、インターネット上の過去の犯罪事実の検索結果についての削除を求める裁判で、検索結果の提供は表現の自由にあたり、それを制約してでも情報主体のプライバシーを保護すべきか否かについては、犯罪事実等を公表されない利益と当該事実を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきとしたものがあります(最決平29.1.31)。

「忘れられる権利」のまとめ


このように、「忘れられる権利」はまだ日本では生成途上のものですが、表現の自由を制約することが可能な、「背景的権利」のレベルまで来ているものと評価することができます。今後、詳細な定義や限界などが理論化されていくことを期待したいと思います。

さて、時系列でいうと逆算をする思考方法になりますが、将来において、このような権利が主張されることを想定した場合に、現在時点において、犯罪の被害者についてはもちろんのこと、容疑者の氏名についても、不必要に公表し、あるいはそれを報じていないか、ということについて、行政だけでなく、メディアにおいても、もっと慎重な姿勢であるべきではないか、というのが私の問題意識です。

人権をめぐる今日的状況に対する教訓

ここ10年程度で、ソーシャルメディアの発達はすさまじいものがあります。SNSが登場した当初は、これまで一方的に情報を受領するだけだった個々人が、「送り手」の立場にもなりえるという意味で、積極的な評価が多かったように感じられます。実際、アラブの春をもたらしたのは、新聞ではなく、SNSだったことはよく知られています。

しかし、近年では、むしろ負の側面が目立っています。いじめや寄ってたかっての誹謗中傷など、かつて大手メディアが「第四の権力」として批判された時代を知っている者としては、デジャヴな感じもします。

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