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演説原稿 #C101 #コミケ街宣 #表現の自由

昨年初めてこの街宣にお招きいただきまして、早いもので1年が経ちました。この活動を継続的に運営されている皆様には敬意を表したいと思います。

今年後半は、宗教と世俗的活動の境界などが大変議論になりました。ところで憲法は、政治と宗教との関係について、政教分離原則を定めています。その趣旨についてはいくつかの説明があるのですが、ここでは、「価値相対主義」ということについて指摘をしておきたいと思います。

宗教は、絶対的な「善」であるとか、絶対的な正義を説くことがあります。そしてその価値観に反するものは悪であるとか、邪教ということになり、排斥をしがちです。政治が宗教と結びつき、宗教と同様の行動をとると、政治も誤りますし、何より人権侵害が常態化します。戦前、日本が国家神道と強く結びつき、どのような途を辿ったかを思い浮かべていただければわかりやすいかもしれません。

しかし私たちの憲法は価値相対主義を前提としています。絶対的な正義というのを前提とするのではなく、その時々の多数意見によって正義のあり方を決めていこうとするものです。今日の少数意見が明日の多数意見になることもあり得るというのが私たちの国の立憲主義のあり方です。政権も投票と説得箱のプロセスによって交代しうるというのが立憲民主主義のあるべき姿です。

そのためには、民主制の過程、プロセスを基礎づける人権である表現の自由は基本的人権の中でも最も重要な人権であることはいうまでもありません。

こういう話をすると、漫画やアニメは民主主義とは何の関係があるのかとか、しょせんエロ漫画でしょ、という反応もあり得ると思われます。それが普通の反応なのかもしれませんが、その感覚は実はとても危険なことだということをぜひご理解いただきたいと思います。

今でこそ、わいせつ関係の文書の規制は刑法175条が大元締めのような役割を担っていますが、戦前はめったに発動されない規定でした。新聞紙法、出版法がその主役で、内務省による検閲が行われていたのが第二次世界大戦前のわが国の言論の自由の姿でした。

アメリカでも、1873年、後に「コムストック法」と呼ばれる法律が成立します。アンソニー・コムストックという活動家の社会「浄化」活動が背景にありました。この法律は、わいせつ、みだらな出版物を郵便禁制品と指定して流通過程をシャットアウトする法律です。

このコムストック法は、富くじ類の宣伝勧誘などを禁制品のリストのなかに加えていっただけでなく、20世紀に入ってからは、アナーキズムに関する出版物や、第一次大戦の頃には、反戦平和を訴える出版物などに拡大していったのです。

コムストック法は憲法の研究者であれば、勉強したことがある法律なのですが、一般の方にはあまりなじみのないものだと思います。しかし、この法律がたどった道というのは、のちの時代を生きる私たちは教訓としなければならないものではないでしょうか。

民主主義のプロセスは、一夜にして崩れるほど脆弱なものではないと私も信じています。しかし、コムストック法のたどった道は、政治的言論を封じる法律も、それは、わいせつ規制からはじまったということを教えてくれています。

ですから、たかが漫画・アニメ・ゲームの規制ではないかというのは素朴な感覚かもしれませんが、素朴な感覚を法律や条例に反映させることはきわめて危険なことであることは強調しておきたいと思います。

みなさんの活動が民主主義のプロセスを正常に機能させる防波堤となりますことを希望して、訴えとさせていただきます。

※演説の中で触れた「コムストック法」については下記の記事(有料ですが)も是非ご覧ください。

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