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スランプだと言いたくなったときに。

つい使いたくなる言葉、ある意味便利なことばというのは色々あって、職業柄アンテナを張っているほうかもしれない。

「スランプ」。

記憶が曖昧だけど、落合博満さんがおっしゃっていたのだったか、一流の域に達している選手が言うならまだしも、スランプだなんて言う時はだいたいは基本的なことができていないだけだと。

以来、雑談のクッションで使うことはあっても、仕事や創作活動において、「スランプ」ということばが頭をよぎってもマジシャンの黒布的ベールで抑えこんできた。


スランプということばの魔力


ところが、それでも、どうしても言いたくなる。


「・・・今スランプでして。」


なぜそう思いたい、言いたいのか。

「自分がもっとうまくできていた時があったのに、今はできていない」からだ。

そして、原因を自分以外にも求められる余地があるように思える(錯覚できる)からではないか。

アスリートもビジネスマンも、アーティストも、そこは共通しているのではないかと思う。


答えは、「自分の取り組み」の中にある。


書きながら、答えは見えてきている。

「スランプ」という言葉が頭をよぎる時=目の前の、足元の、やるべきことに取り組む時間が少ない状態

この等式が成立するはずだ。


お恥ずかしながら、自分の場合に置き換えると。。

仕事がスランプ
→考える時間、準備する時間が足りていない。手書きでも頭の中を書き出す回数、思考およびテキストで、考えるに費やす文字数。

俳句がスランプ
→作句に充てる時間が少ない。素案のアウトプットが少ない。

※自分の場合、5年後に見返して納得できるような句は素案レベルからカウントするとざっくり100パターン作って1句程度。「多作多捨」の先にしか質の高い作品は残らない。(最短ルートで名句を量産できる人もいるかもしれないけど、それは「天才」以外の何者でもないので同じ土俵には乗って考えない)

「なんにも救いは無いけど、そりゃそうよね」

と、手品ボックスの中が見えてしまったADの気持ちになる私です。(そんな経験ないけど)


まとめ


スランプだと言いたくなったときは、「試行・思考やアウトプットの量がまず足りているか」を自問するべし。

自戒を込めて。

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