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変わらないもの


懐かしい場所。

面影霞む文真堂
面影霞む文真堂

小さな本屋さんしかない地元から40分近くかかるこのお店。

ビデオやCDが豊富に揃ってて、夢のような場所。

あの日、大きく見えた高校生の背中はもうないし、借りていた最新刊は随分色褪せていた。

思い出を感じる為に寄ったが、そこには聴いたこともなかったYOASOBIの新曲。

当たり前だ。

変わらないものなんて、ほとんどない。


変わらないものはない

変わらないもの 探していた
あの日見つけた知らない場所へ
君と二人で行けるのなら
僕は何度も生まれ変われる

奥華子

この曲のこの歌詞を聞くたび、寂しい想いが募る

仏教で諸行無常という言葉があるが、変わらないものなんてない。

大切な思い出に、懐かしい記憶に、また現実で再会しようとしても、知らぬうちに形を変えてしまっている。

変わりづらいもの

そんな中でも変わりづらいもの。

自然。

寄り風景

人工物も写っているが、やはり広大な自然は毎年、同じ風景を与えくれる。正確には同じではないが、人間はその変化に気づけるほど、自然に対してミクロに考えていない。

災害や人口の手を加えなければ、同じ時期に同じ姿を見せてくれるのが自然の魅力。

同じということは、乃ち懐かしい思い出を投影できる。

幼少期の友人や家族との記憶。この自然は回想に寄り添ってくれるだろう。

変わるから残す


しかし、自然ばかりの世の中ではない。

周りのほとんどが、『すぐに変わってしまうもの』。

物も場所も人間も世界も変わってしまう。

こうやって変わらないものがほとんど存在しない虚しさといか、切なさに気づいた21歳。

写真を残しているからここまで変化に敏感になったのか、変化に敏感な性質故に写真を残し始めたのかは未だに分からない。ただ写真を撮ることとこの感性の相性がいいことだけは分かる。

変わってしまう前に、私は写真や映像として残すのだ。

思い出と触れ合える現実が、なかなか存在しないことはちゃんと受け入れて、移ろう前に残していくという行為に重点を置く。

薄れゆく記憶ともう会えない現実に切なさを覚えても、写真や映像として変わらないものを残し続けていく。

いつまでも。

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