見出し画像

起業して15年、失敗した事業とか全20個をこの際なので紹介します

4月27日、自分の誕生日を記念して、これまでの起業人生を振り返ってみようと思います。起業したのが2006年で現在15年目、社会人歴は今年で20年目。早いもんだ。

普段あんまり振り返るのは好きじゃないんだけど、隠してもあれだし、恥ずかしがってもね、、と思い、せっかくなので僕の痛々しい思い出をしっかり文字として刻みます。

よく、あなたは何者なの?
みたいな質問をもらいます。

下に書き出した全部の事業がくれた経験と教訓で僕はできています。
これから事業を始める人には何かしらの気付きをご提供できたらいいなと思いなら書いていきます。

さあ、(ほぼ)時系列にいくぞ!

1、ネイルサロン検索サイト「マイネイル」

これが起業一発目の事業です。
サービス開始が2007年4月20日、その1週間後の27日にはかの有名な美容系検索サイトホットペッパービューティーがオープンしたのです。俺の誕生日にやるなんてやるじゃねーかw

マイネイルは10年やりました。頑張ったね。
当時ネイルサロンが6000店舗、5年後には12000店舗はゆうに超えてるまでマーケットはあっという間に成長しました。このマーケット成長とともに僕の起業家人生はリーマンショック知らず、順風満帆にスタートしたのでした。だけど2012年頃には成長は完全に頭打ちになったのです。。。

当時、インターネット上に存在していたネイルサロンの情報を無許可でサイトに全て掲載したビジネスモデルは当時、一部の方々には「おめー、すげーな」とその度胸を賞賛されたのでした。今ではキュレーションとか言われてますね。

2、ネイルスクールの検索サイト「マイネイルスクール」

なんでこのサービスを始めたのは流石にわかりますよね。笑
こちらは従量課金でやってたのですが、そんなにネイリストの人口が爆発的に増えるわけでもなく、専門学校に勝てる訳でもなく、有名ネイルスクールは僕らの助けなんてそこまで必要にならず。。。という訳です。

3、まつげサロン検索サイト「eyelife」

これ意外とよかったんですよ。
まつげエクステ、まつげパーマといった施術は実は美容師免許が必要となるのです。正確にいうと首より上を美容的にいじるには必要なのねん。

で、どグレーなこの領域は前述のホットペッパービューティーは攻めれないのです。ということで、そんなのあんまり気にしていないベンチャーな僕はしれっとやったのでした。

4、ネイルサロンを2店舗開業しました

こちらは三軒茶屋と渋谷でやったのです。三茶の店は8年間やりました。えらい。こちらは立ち上げから一緒にやってた店長が結婚→出産となり、残念ながら店長の引退に伴い閉店したのでした。

渋谷の店は某有名美容室と一緒にやりました。
美容室とネイルサロンが併設しているサロンで成功したサロンってのはほぼ見たことないのです。なぜなら一見同じように見えるのですが、野球とソフトボールよりも実は違うのです。なので1年ちょいくらい(2年くらい?)やったと思うのですが、折り合いつかず辞めました。

5、10種類くらいの店舗検索サイトをやってた「チャンネルシリーズ」

当時まだSEOがページ数、被リンク数、テキストにおけるキーワードの含有率とかで上位表示が可能な時代に、例えばクリーニング屋、料理教室とかのカテゴリーを絞った店舗だけを扱う検索サイトを10以上運営していました。

なんのビジョンもないサイトでしたが、SEOの実験になったし、お金にもちょいとなりました。

やり方としては、クローリングして店舗データを集める訳ではなく、当時iタウンページってのがあって、そこからカテゴリー別の名前、住所、電話番号を引っ張って来れるのです。それらの店舗データを1ページとするとあっという間に1万ページくらいのサイトが出来あがっちゃうのです。SEOのロジック変更やそもそも飽きてきたのでやめましたー。

6、新しいトレンカを作った(作ろうとした)

これは僕の仲良い人でも知らない人がほとんど。アパレルにも手を出したっていう黒歴史の話ですw

ヒールの靴ごと履けるトレンカ作ったのです。
詳細は説明しないのですが、SKU、つまりカラー展開とサイズ展開の闇にハマり、自分がつけることないトレンカに1000万以上突っ込む覚悟ができず、試作を何回かした時点でやめました。

男性のわからない人向けにトレンカを簡単に説明すると、おしゃれなストッキングみたいなもんです。

7、パワーストーンをネイルサロンで売った

これは儲かりました。
ネイルってお客さんと2時間近くネイリストが向き合う商売なのです。そしてネイリストはとにかく細かい作業が得意なのです。

これを利用して、素敵なパワーストーンをネイリストが装着していると、もれなく2時間も時間があるとお客様は会話で触れてくるのです。そしてそんな話を結構やっていると欲しくなるのです。で、あるよっていうと売れるのです。

うちは固定客ばかりの割と高級目のネイルサロンだったので、一巡したらあんまり売れなくなったのでやめました。けど多い時で月数十万円はゆうに売れました。

8、石垣牛のハンバーグ屋を作ったのを手伝った

こちらは2010年くらいかな。当時の相方が三軒茶屋で石垣牛のハンバーグ屋をオープンしたのです。それを諸々手伝った(バイトもした)。ハンバーグもこねました。我が人生、あれ以来ハンバーグをこねてないw
ここではいろんなことを学びました。

例えば、行列ができている時に、店員としては早く席に座らせてあげようという気持ちになり、せっせと店に人を入れるのですが、これは入れちゃダメ。人間心理は外で待っている分には混んでるなーとかまだかなー、っていう感じで待ってもらえるのですが、一旦着席すると「おせーなー」という風に感情がネガティブになってしまうそうです。混んでる時って結局キッチンが混んでいる状態なので、急いでも提供時間には限界があるんですよね。
数年後、結局事業売却で本事業は幕を閉じたのでした。

9、RPO事業(昔はただの採用代行と呼んでいた)

今ではRPO(Recruitment Process Outsourcing)なんて格好良い呼び名で呼ばれていますが、当時は単なる採用代行です。

この事業は時系列がちょいとおかしくなるけど、創業1年目から取り組みました。というか、ありがたいことにお声を掛けていただき、なんとびっくり6年間もやったのでした。1億円近くはこの事業だけで稼げました。助かったー。

ちょっとした教訓的なメッセージとしては、起業が失敗するパターンの多くは「資金不足」ってのがあります。要はお金が底を尽きる訳です。自分が暮らしていけなくなるのであれば、やりたいことも諦めざるを得ません。結局ね、思うのが「終わらなければ(お金が底を尽きなければ)、ずっと挑戦し続けられる」のです。

つまり、起業して成功するまでの道のりとしては
・(たまたま)一発目の事業で当てる
・たくさん貯金をしてから挑戦する
・お金を稼ぎながら(ライスワーク)、挑戦する
・お金をたくさん借りる、あるいは投資してもらって本業に集中する

これくらいのパターンしかないので、自分はどれにあたるか考えてからスタートすることをお勧めします。最低2年間くらいの生活費は確保しとくってのが目安かなー(僕、自己資金100万円でスタートしたけどw)

10、ドコイク?の代理店

こちらはリクルートさんの代理店をやったよっていう話です。
主には美容系サロンを対象にリクルートの当時新規事業だったアドネットワークを売ったよっていう事業です。

結局受注したの1社だけだったね。ごめん。

11、Magic KItの代理店

こちらはDeNAさんの代理店事業でした。
当時ガラケーだったんですが、ガラケー時代の簡易ホームページ作成サービスをDeNAさんが仕掛けてて、そのパートナーとしてやりました。

結構受注はしたんだけど、有料での継続がかなりネック(サロン事業者は基本的にそんなにお金ないの…)だったので、しばらくしてサービスそのものが閉鎖しました。
描いた仮説が顧客の事業にハマるかどうかはヒアリングだけじゃわからないねってことを学んだのでした。

12、採用ホームページ作成サービス

これはめちゃんこ成功しました。実は今もやってます。
元リクルートで採用やってた人が手がける採用専用のホームページ作成サービスは競合がまるでなかったのです!正直今もそんなに競合はないです。

当時、11回目のコンペまでは負けなし、結局17回くらいコンペに参加して負けたのは2回くらいかな。

これ、起業する人のヒントになるんですが、ポイントは2つあります。1つは「差」、もう一つは「ずらし」です。

1つ目の「差」は通常ホームページ制作会社は「綺麗に」「上手に」サイトを作成することを売りにしているのです。僕のプレゼンは全て「採用成功」で押していきます。結局、コンペってのは相手の目的にどこまで寄り添えるかっていう勝負なんだと思いました。
2つ目の「ずらし」は今も使っています。それは、僕の人間関係には採用関連、人事関連の人が異常に多いのです。そんな環境の中で、人事の共通言語が喋れて、採用のホームページを作れる人って実はものすごく少ないのです。経営学的にいうとH型人材ってやつですね。
これどういうことかっていうと、僕の友人関係1000人に対して、ホームページ作れる人って多分10人いないかも。ってことは単純に計算すると100人の友達のホームページ関連の第一想起にあたる人は僕なのです。この微妙なずらしのポイントを見つけるのは実は商売における勝ち筋の1つなんだなと思いました。まあグローバル企業にはなれないがなっw

13、ネイルサロン専用のホームページ作成サービス

これも売れた。今でも運用している会社さんが数社あるほどです。
これの成功のポイントは3つあって、それは1つは業界の共通項を探すこと、2つ目は共通言語を習得すること、3つ目は予算感です。

1つ目の業界の共通項、ホームページにおけるポイントは「作るページの種類は皆同じ」ということです。結構当たり前のことを言っています。
ネイルサロンの場合は、トップ、メニュー、店舗紹介(ネイリスト紹介含む)、ネイルサンプル、地図・アクセルの5ページです。だから制作における思考の幅は極端に狭くできるのです。

2つ目の共通言語は採用のホームページにも通じること。それはユーザー心理とネイルサロンオーナーの心理なのです。結論としては、業界の特殊な言葉や状況を理解し、発注者(オーナー)の目的を誰よりもわかり、それを実現しましょう、ってな流れになる。こんなのはネイルやってない制作会社にはわかるわけがないんです。

3つ目は、とはいえ金額が合わなかったらダメなんです。なので、初期コストは10万円と相当破格、運用である程度利益が見込めるようにしていました、とさ。

<ココがポイント!>
ネイル関連では検索サイトを2種類、まつげのサイト1つ、ホームページ制作、クライアントデータを活用した代理店事業、店舗開発、店舗顧客に向けたアップセル(パワーストーン)とめっちゃこねくり回しました。

当時僕らは業界トップの検索サイトであり、それをいかに縦に横に発展させるのかってのを試行錯誤とともにめちゃめちゃやってました。
こういうのって他の業界でもきっといきますよね!

14、フレッツの代理店事業

これはめちゃめちゃ面白かった事業です。フレッツ光の代理店事業なのですが、マージンがよかったのと、インターン生にとってちょうど良い商材でした。これを仲良かったイケてる不動産屋と組んで思いっ切りやってました。

ユーザーにとっても良い商品だったし、なにより結構儲かりました。
成功のポイントは、商材の仕入れルートとパートナーの強さです。
最終的にはインターン生が卒業したので、それをきっかけに僕も卒業した。

15、当然ながらSEOとかもやってたし、売ってました

ホームページ関連の事業やっているなら、メディア運営しているなら絶対避けれないのがSEO。これをもちろん外部にも売っていました。

今でも覚えているのが、某都内の審美歯科さんに「地域名×審美歯科」でSEO受注したのですが、やりすぎて「審美歯科」単体のワードで1位になってしまったのです。おかげでお客さんはプチバブルw 当時のパートナー企業のSEOは本物だなぁ。。。と唖然としたのを今でも覚えています。当然、そのパートナーさんは今も超絶元気です。

16、Go globalな事業をやりました

まだ元気にやっているクライアントさんの名前なので具体名は差し控えますが、当時Googleさんが日本→海外向けに使う広告の出稿量が全体の1%くらいだったので、海外向けになんかやってよーってなことで、今でいう越境ECってのを立ち上げました。

結果は散々だったのですが、広告費はGoogleさんが全部持ってくれたし、失敗したーっていうケースをセミナーで講演させてもらったりしました。いい経験。もしうまくいっていたら、越境入学ECでは第一人者って呼ばれてもおかしくなかったです。残念。このビジネスの教訓は温かい、つか暑い国には美容系のものはあんまり売れないってことかな。(顔に汗かくから)

17、転職エージェント業にお帰りなさいしました

起業して6年が経過し、ひさびさに転職エージェントを始めました。経緯とか書くと長くなるのでまたの機会にしますが、若手層を対象としたエージェント業です。

当時、非対面、転職データベース(ビズリーチとか)のフル活用、徹底的なプロセス管理でやったエージェント業は珍しく、様々な業界の賞をもらったりしました。リーマンショックからの回復の波に乗れたのも良かったです。これは形を変えて今もやっています。

18、採用コンサル屋、「採用インフラ工務店」はじました

2年前の事業ですが、今でも当時の資料とか書き物を見るのですが、これはめちゃめちゃ意味ある事業だったと思います。やっていることは月10万円の採用コンサル屋です。この経験は実は今やっている3BOOKSにいきています。

当時に書いた記事が3つほどあるのです。1個目のは結構人気記事になってました。転職エージェントの人や採用に困っている人はぜひ読んでみてください。結構いいこと書いてるはず。

=== ココからが現在の話です ====

19、Japan entryの支援開始しました

現在進行形につき、詳細は全く書けないのですがいくつかの企業の日本進出支援を行っています。

20、3BOOKS株式会社はじめました

先日、noteでも書きましたが3BOOKSはじめました。

「具象と抽象の往復」を1つのテーマに、組織のトランジションを行うお客様に徹底的に寄り添い、事業の目標達成のために、経営アドバイザリー、3BOOKSを使った教育研修、人材紹介業で貢献する会社です。詳しくは上のnote見てね。


実は現在、21個目のビジネスまで仕込みは終わっています。22、23個目も構想は既にあります。あほやなwよくもこれだけやったなーとつくづく思う。しかも上記の他にお客様の新規事業の支援も結構やっているのです。好きだねー、新規事業が。

最後に教訓でも書いて終わろうと思います。

新規事業を20個やった教訓をせっかくなので20個ほど

1、金儲けは続かない、けど否定はしない
2、お金がなくなると起業はゲームオーバー
3、強いパートナーに社内外ともにこだわれ
4、契約書をなめるな。何かあった時にはそこしかない
5、撤退は思い切りよく、早く
6、起業家人生は点と線で考える。今ダメでも未来に生きることもある
7、勘は信じろ、ほぼあたる
8、人に否定されて悩むくらいなら新規事業はやるな
9、否定された新規事業ほど伸びる時はガツンと伸びる
10、自分が経営者か商売人か適性を見極めろ
11、「この指とまれ」で指を握ってくれる人を増やせ
12、全員の人と仲良くするのは起業家は無理
13、常に大失敗した時のことを想定しよう
14、思いついたアイデアはもったいぶるな、言いまくれ
15、勉強や努力ほど成功への近道はない
16、成長したかったら起きてる時間は全部仕事にあてよう
17、再現性のない成功者の言葉に気をつけろ
18、常に常識を疑おう
19、想像力が一番の武器になる
20、夢は大声で語ろう

ということで、You Only Live Onceの精神で、これからも挑み続けていきたいと思います。直近のテーマが骨太の事業だったりするので、ちょいと数は減ると思うのですが、社会が良くなって、クラアントが喜んで、仲間がハッピーになって、僕も楽しいっていうサイクルを大きく強く回していきます!

きっと忘れてた事業とかあると思うので、その時はしれっと追加しますねw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?