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映画にまつわる思い出 ビデオデッキとともに

映画にまつわる思い出について書いていきたいと思う。私が思い出に残っているのは、いまから40年くらい前の話。18歳の頃、高校を卒業して一年間新聞配達をしていたときの話だ。新聞配達の朝早い。4時頃に起きると販売店にみんな集まってきて、チラシの折り込みから始める。自転車に角のように新聞紙をつみあげ、出発していた。

今は新聞自身が販売部数を減らして、私も地元の地方紙以外はオンラインで読んでいる。東京の調布で配っていたけれどそれから一度も訪れていない。あの地位域も相当変わっているだろう。近くのマンション群に住んでいた人たちもすでに老人になってるだろう。

その時期はビデオデッキが普及し始めていたときで、レンタルショップがにょきにょきと出現しだしていた。今はTSUTAYAのようにチェーン店で展開されているけれど、その時代はまだ個人で小さな店をやってるところが多かった。産業は個人でやっているものから、やがてチェーン店になるものが多い。レンタルビデオ店もそうだし、薬局なんかもそう。大資本が産業をまとめ上げていく。

その当時のレンタルビデオ店はいかがわしそうな店が多かった。狭い店にぎっしりと詰まったビデオの棚もなつかしい。その当時はVHSが覇権を握り、どんどんとデッキが売れていった時代だ。

そんなときに私はデッキを持っていなかった。10歳くらい離れた親しい人の部屋であるビデオを見た。それはデビッド・クローネンバーグの「ビデオドローム」だ。デビッド・クローネンバーグといえばカナダ出身の監督で、身体のグロイ感じの映画をとる監督だ。ビデオドロームもその例にもれず、グロい身体の変形が見られる。

ビデオドロームはビデオ時代の到来とともに作られた映画で、ビデオとポルノグラフィティと身体の変体を見せつける作品となっている。ビデオとポルノグラフィティが親和性ががあるのは一目瞭然、そしてそれが一体どういう精神を作っていくのかという問題がたぶんこの作品だ。その問題はいまでも私の中にある。今はビデオという形ではない。ネットの時代だ。ネットの時代は精神をどう作り変えるのかという問題はいまでも変わらない。

私は映画の思い出で残っているのは、せまい店の中にぎっしりと詰め込まれたビデオの山であり、それを借りてはデッキに突っ込んで見た過去だ。配信で見るのとは違ういかがわししさに満ちていた。それはビデオドロームという作品とシンクロしていると思う。配信で見るのとは違う体験をさせてもらったと思っている。


#映画にまつわる思い出

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