映画感想文 映画「運び屋」を見て 豊かなのは寄り道かも
「運び屋」はクリントイーストウッド監督、主演の映画です。80代の男をクリントイーストウッドが演じます。クリントイーストウッドはこの映画作成時、ほぼ主人公と同じ年齢です。老人が主演の映画です。青春物とは全く違う作品となります。
運び屋という題名のとうり、ひょんなことからコカインの運び屋をやっていきます。はじめはオンボロのピックアップトラックで運びます。すぐにピカピカの黒のピックアップトラックに乗り換えます。そしてアメリカの州をまたいでコカインを言われた場所へと運ぶのです。
でも主人公であるアールは呑気なものです。自動車に100kg以上のコカインを積んでいるというのに、古いアメリカ音楽をかけ、歌いながら自動車を走らせていきます。道でパンクした自動車を見かければ、気さくに声をかけ、車を止め一緒にタイヤ交換を行います。見ていてハラハラします。
映画を見ていた私は豊かな気分になってきます。犯罪映画等ジャンルにもなる映画です。実際人も銃で打たれるシーンも出てきます。私は車を運転できないのですが、アメリカの道をアールが走るのを見ると満ち足りてきます。ときに単にうまいからという理由だけで遠回りしてレストランによってサンドイッチを食べます。
多分豊かさとは余分なものなのです。目的地に時間どうりに着くことを言われているのに、気ままに寄り道していくこと、そこに富を発見するからです。富とは何かを定義することは難しいです。宇沢弘文は「社会的共通資本」で書いています。
読んで見ればそのとうりと思う部分もあります。しかし、多分余分なものを持つことということも含まれるはずです。主人公のアールは生涯を花づくりにささげてきました。花は食べられません。花がなかったとしても生きることはできます。でも多分その余分なものに生涯を捧げてきたことが、寄り道の富の気づきを与えていたような気がします。
アールは花をつくるのに真剣でした。決して不まじめではなかったのです。真剣ということと余分ということは関係があります。真剣に遊ぶということに違いありません。目的を持ちながら寄り道すること、そういうことなのかもしれません。
私もこれを書いたら、冷やし中華を作って食べたあとに、夏の暑さながら光線はすでに秋の気配を感じさせる、炎天下をコンビニにジュースを買いに行きたいと思います。少し遠回りをしながら。
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