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映画感想文 「TAR」 を見て

浅い眠りから目を覚ました。隣でシャロンが睡眠薬を飲んで寝ている。なにか音がする。不快だ。音とはコントロールされて意味を持つ、コントロールのされない音など不快に過ぎない。この前はメトロノームが動いていた。カチカチとリズムを刻む音が耳障りだった。今度はジーという低い音が、ずっと聞こえる。耳鳴りのようでもある。私はシャロンを起こさないように静かにベットから起き上がると、音のする方に、電気もつけずに歩いていく。音がするのは台所のようだった。暗い中を気をつけなが歩いていく。冷蔵庫の前に来ると、かすかに音がする。ドアに手をかけ開ける。冷蔵庫の中に明かりが付き、周囲が明るくなる。音がするかどうか確かめるが音はしない。いつの間にか、さっきまでしていた耳鳴りのような音はしなくなっていた。この所、こんなことの繰り返しだ。音が聞こえると思ったら、また聞こえなくなる。聞こえなくなったと思ったら、聞こえてくる。シャロンに聞いてみようかと思うが、寝ていて知らないという答えが帰ってきそうだ。あなたは音に敏感だから聞こえているような気がするだけなの、という答えが帰ってきそうな気もする。この頃は作曲もなかなか進まないし、薬で気を落ち着けているが不安感が湧き上がってくる。ベットにもどるが眠れない。目が冴えてくる。私の人生はどこまでいっても音に支配されている。コントロールしようとすればするほど離れていく。たった7分の曲のために全てをかけてきた。7分のためにリハーサルを繰り返し、楽譜を何度も見直した。いったいどう演奏すべきか、理論的に考え、イメージを膨らませ、音楽家の伝記を読み漁った。スコアーに書き込みを行い、実際にリハーサルで演奏をさせてもみた。そして、また書き込みを行う。スコアーは足跡そのものだから、書き込みを毎日怠ることはできない。起き上がってスコアーに向き合うべきだろうか。いや、眠るべきだ。目を閉じてじっとしていよう。

上の文章は映画の中で何度も出てくるシーンの私なりの再現だ。不眠で昼間の生活との対比がでてる。

TARをみて、いろいろ考えた。権力者なんだけどなんだか悲しかった。後半はコントロール不能の事態に陥り、自分がどうすべきかどうかもわからなくなる。敵を作り過ぎというのが第一印象。ほかにも打算のない人間関係は子どもとのものだけだったと非難される。無償でないからあなたの行為は間違っているという非難は過酷に過ぎる。誰でも見返りは期待するし、したところで問題ない。すべてが無償でないからと言って非難されるなら何もできないだろう。でもそれに言い返す言葉はすでにターには残っていない。無償の人間関係というのは逆に恐ろしい。無限に吸い込まれていくからだ。歯止めはない。ここまでやったからいいだろうということはない。

この映画ではいろいろな角度から描かれている。たぶん最後にはターには音楽だけが残ったのだと思う。家族も地位も名声もお金も全て失ったけれどそれでも、ひとつだけ音楽が残った。一つだけでも残るのはもしかしたら幸せかもしれない。何も残らないよりましだ。


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