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2024年2月トヨザキ社長賞 『半暮刻』月村了衛著

〈ヤクザ、半グレ、広告代理店。(略)この三者が密閉された狭い部屋で顔を突き合わせ、国民の税金を簒奪するための手配を黙々と進めている。(略)黒と灰と白。これこそが社会を表す三原色だ〉月村了衛の新作「半暮刻」に書かれたこのくだりは、日本社会の現状を端的に言い当てているのかもしれない。
主人公は二人の青年、山科翔太と辻井海斗。翔太はシングルマザーに育児放棄され施設で育った元不良で、海斗は経産省のキャリア官僚を父にもつ有名私立大学の学生だ。二人は新宿の会員制クラブ「カタラ」に同時期に入店する。全く違う生い立ちの彼らには、ルックスと頭がいいという共通点があった。二人は店の〈マニュアル〉通りに〈課題〉に取り組んでいく。その〈マニュアル〉には〈学び〉や〈成長〉〈努力〉などの美辞麗句が並んでいたが、内容はナンパした女性を罠に嵌めるためのものだった。
翔太と海斗は二人でコンビを組んで女性を勧誘することで成績を上げ、カタラグループのトップテンになる。だがある日店に警察の捜査が及び、その後二人に用意された道はそれぞれの生い立ちに倣うようなかけ離れたものだった。翔太は逮捕され執行猶予の付かない実刑判決を受けたが、偶然店を休んでいた海斗は起訴もされないまま、広告代理店最大手の内定を勝ち取る。この出来事から二人が学んだことは…
本作は二〇一九年京都で起きた半グレ集団「スパイラル」が摘発された事件をモデルにしている。有名大学の学生達が女性との擬似恋愛関係を利用して、のべ二六〇人余りを風俗に斡旋した事件だが摘発された被害は四件にとどまったという。作中ではこれに限らず過去に起きた事件を連想させる出来事が次々と起きる。〇三年に西麻布のバーで起きた人気歌舞伎役者殴打事件、〇五年の電通社員高橋まつりさん過労自殺事件、一九年に発覚した持続化給付金事業をめぐる電通の中抜きシステム、二〇二〇東京五輪の談合事件…作中に登場するヤクザと半グレの人物描写が非常にリアルであることに加え、列挙された出来事の背景が詳細に書かれ、現実社会の闇を覗き込んでいるような気持ちになる。本作を読み終わった後では、広告代理店=白とはとても思えなくなるのだ。
自分だけが実刑を受け服役後釈放された翔太は〈何もかもがくだらない〉と感じながら日々を過ごしていたが、ある出会いをきっかけに外国文学の古典を読むことにのめり込むようになる。十九世紀に書かれた古典の中に現実の〈世間〉と〈人間社会〉を感じた翔太は〈大昔に書かれた作品が、いつの時代でも通用する。そしてその時代と人間とを批判する〉ことに驚く。古典を読むことで〈分からない言葉。分からない物語。分からない思想〉を理解したいと想像力を養い、言葉の力を知り、自分で考えることを繰り返すうちに、翔太は犯した罪の重さと自身の奥に隠されていた過去と向かい合っていくー。
一方で海斗は自分が犯した罪を意識することはなく、その被害者を〈弱者は社会の迷惑〉と簡単に切り捨てる。〈捕まらなければ、犯罪者ではない〉のである。現実と乖離した自分達の〈閉じた世界が全てと思〉う傲慢さと、想像力の欠如。言葉やロジックを悪用し、暴走、逸脱した先にあるのは〈オセロゲームのように一瞬で反転〉し〈切り捨てられる者は徹底的に叩〉く世界ではないだろうか。
この作品には私たちの日常にある社会構造が横たわっている。昨今発覚した裏金問題然り、松本人志の上納システム然り。これらのことも〈いつの間にか忍び寄って、気がつけば相手をからめ捕っているような力〉に吞み込まれた結果のように思えてくるのだ。
自分に見えている世界以外は存在しないと思うこと。その〈邪悪さ〉は誰の中にもあるのかもしれない。それを自覚することが、黄昏時に射す光になるのではないだろうか。

トヨザキ賞 石川陽子さんのコメント

この度はトヨザキ社長賞をいただくことになり、大変うれしく思います。「半暮刻」では主人公が書評を書くことで自身と向き合っていくシーンがありますが、私も書評を書くたびに、自分の価値観やモラルと向き合い世界を広げる機会をもらっていると感じています。このような貴重な場所を作ってくださっているトヨザキ社長、事務局のみなさま、受講生のみなさまに感謝を申し上げます。

タイムマシンで過去へ行けるようになったら、九州の田舎でTV Bros.を愛読していた20代の自分に伝えたいです。

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