どこにでもある
その情報量のないサムネにどうにも既視感があり、再生したら母校だった。通っていた当時の。
当時バズるという言葉は一般的ではなかったと思うけれど、同じ場所で撮影された別の動画もバズっていて、知らない間にわたしも見切れていたりしたので、なんか、これもそうである気がしてしまった。どこにでもある風景なのに。
さすがにまたわたしが見切れているようなことはなかった(と思う)けれど、そう遠くない地点には存在していたはずで、今になって流れてくるなんて、ちゃんと気づけてしまうなんて、なんだかとても、怖かった。
普通に怖かった。
これに気づけるならあなたにも気づけるだろうか。
わたしの様々なあなたに、会いたい人たちに、けれど街のどこかですれ違っても気づいてもらえる自信はなくて、だからわたしが気づかなきゃいけない。気づいて声をかけなくちゃいけない。
その前にまずすれ違わなければいけないけれど、その途方もない確率が今なら少しは上がっているような、それを逃したくないような、そんな秋の日だった。
秋……だよね……?
新しい担当者がウルトラ過保護なのか歴代担当者が放任すぎたのか、どっち。
何かあればこちらから連絡するので(そんなに気を回してもらわなくて大丈夫です~)とはやんわり伝えてあるけれど、当然というかなんというか、かっこ部分は伝わっていないのだった。
駅の手前の横断歩道で一瞬金木犀を感じた日の後に真夏日があって、彼岸花がもう枯れていて、いまって本当にいつ?
外が涼しいと中がぬるくて、外が暑いと中が寒くて、半袖のシャツにカーディガンを羽織りながら、長袖の着たいシャツのことを思う。エレベーターがなかなか来ない。
知らない人にするのと同じ温度感でお疲れ様ですと返したらめちゃめちゃ知っている人で、まさにそういう心の動きのままの表情になった。自分からも知らない人に挨拶するようになっていく。正式な入館証が届く。
思い出になることのない日々だけど穂先の炎にまだ触れない
知っていても連絡できないアドレスのあって アドレス 秋風の吹く
見逃したあなたのストーリーズがある可能性がある 小雨の日
この時期は一汁三菜の内訳に金木犀が含まれる人
/山形さなか
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