ペダルの使い方を知ってしまった君へ
足を浮かせる。スピードも出てる。少しずつ浮いている時間が長くなる。かなりバランスをとれるようになってきた。
ペダルはただそこにあるだけ。まだペダルの使い方を知らない足がずっとそばにある。
いつその日がくるのか。
なんとなくその日を待って今日も足元にカメラを向ける。
どうせいつかは来る。来てしまったらもう戻れない。
自転車は漕げなくなったりしない。
漕げなかった時を思い出すこともできない。
それは費やした時間ではなく、たった一瞬乗れたという経験だけで、それ以前とそれ以降でまったく別人になる。
どうせ乗れる。私は知っていて彼は知らないだけ。自転車にチャレンジし続けて乗れなかった人はいない。でも彼は乗れないと言う。
私はその人の光る足元をたしかに見ている。どうせこの輝きが世に見つかることを知っている。でもその人は知らないだけ。
プロデューサーとしてお仕事をする中でそんな光景はゴマンと見てきた。
あーどうせこの人はうまくいくな。
世にバレるのも時間の問題だな。
でも意外とそういう火種が燻っていたりする。
そういうことに妙に腹が立つ。
子どものペダルとは違って大人の夢は信じ続けられ、チャレンジし続けられるようなものじゃない。
信じて叶えた人には必ず陰でプロデューサーみたいな人がいる。
それは人によってマネージャーかもしれないしメンターかもしれない。カウンセラーかもしれないしコーチみたいな人かもしれない。
この世は私にはとても苦しくて、生きづらい場所のように思える。
夢が叶うと本気で言ってくれる人がほとんどいないから。
夢なんて信じ続けたってどうせ叶わない。
ダサいからそんなもの捨てろ。
そっちの声が大きくて真っ当に聞こえるんだ。
周りの人の存在がそれを証明してるから。
親も友だちも上司も先輩も、誰も夢なんて叶えてない。
人は1人じゃ夢は叶えられない。これは私の持論。
大谷選手にとっての佐々木監督のような。
誰がなんと言おうと世界がみんな敵になっても、いま私が持っている石をダイヤだと信じて疑わない、そういう存在が必要なんだ。
壁にぶつかる。いいぞ、上手になったなー。また転ぶ。めちゃくちゃいいね!
息子のペダルが回り出すまで、私は後ろで声をかける。焦らなくていい。どうせペダルは回るんだ。私はそれを知っている。だから声を出す。絶対うまくいく。どんどんやろう。足が止まった時は寝っ転がって笑おう。乗れるようになってしまったら、もう元には戻れないんだから。
ありがとうございます!先にお礼言っておきます!