2月10日 労働からの呪縛はいつまで経っても逃れられない

先週、私は「NHKスペシャルデジタルハンター」と「自民党ひとり良識派」という本を借りた。読むべきだと思いつつ、なかなか進められていない。特に「デジタルハンター」で触れられていたOSINT(オープンソースインテリジェンス)という概念には興味を惹かれた。インターネット上で簡単に検索してコピペするだけで論破しようとする行為を、「ブルシットOSINT」と名付けたいほどだが、恐らくこの造語はすぐに忘れられるだろう。


しかし、この造語を考えるきっかけになったエピソードを忘れたくはない。特に、被災時にTwitterで見かけたインプレッションゾンビのことだ。被災を装ったアカウントが批判されていたが、そのアカウントがツイートした住所をGoogleマップで確認するだけの行為がなぜ無視されていたのか、私はずっと疑問に思っている。助けに行くわけでもないのに、なぜそのような行為をするのか、1ヶ月考えても理由が見つからなかった。


「ちゃんとあっているか確認する」という行為自体は間違っていないかもしれないが、その背後にある意図やモラルについて疑問を持っている。無意味な行為をして自己満足していると感じたが、この見解は共有しても理解されなかった。人々は意味のない行為でも、何かしらの意味を見出そうとする傾向があるようだ。


この傾向は、ネットだけでなく労働環境にも当てはまる。見せかけのやる気や声の大きさが評価されることが多いが、実際にはそれらは無意味な行為でしかないことを再認識した。3連休になっても、労働についての思案から逃れることはできない。


「DENTSU DESIRE DESIGN」という、欲望を定量化しようとするチームの研究をしている。現代社会は定量化できないものまで定量化しようとする傾向があるが、それは言語化することが無条件に肯定されるからだろう。しかし、意味のないことに意味を付けるのは詐欺師のような行為である。人々は他人を騙しながら、同時に自分自身も言語化した言葉に騙されているのだ。よく「騙し騙される」と言うが、「騙され騙される」の方が現代の実情をより正確に表しているかもしれない。

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