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天狗の供物と夜叉の褥 4/14

終いにしよう

 頭がキンキン痛む。
 痛いの痛いの飛んでいけ、と両手で髪をかきあげ後ろへ流す。お願い、おまじない、効いて。
 すぅっと痛みが消えた。優しい風が通っていく。
 悲鳴が聞こえた。天狗山の奥から聞こえてくる。

 天狗が動いて、去る。風が吹いて頭痛が消える。
 祖母も母も同じ反応をする。これが无乃郷へわたしが来て、兄が来られない理由なんだろうか。母が来て、叔母は来ない理由。
 天狗が動くときがわかる。ほんとに?

 天狗山の入り口から菅野が転げるように飛び出してきた。躓いて激しく転び、転びながらこちらへ来る。
 菅野は助けを呼べないほどうろたえて声が出ないようだ。悲鳴もあげられなずに口だけがパクパク喘いでいる。
 わたしは大急ぎで台所から大きいサイズのレジ袋を持ってきた。
「これ、あの人に渡して。きっと吐くから」
 米田さんにレジ袋を渡した。
 菅野にペットボトルの水を使わせるのはもったいなくて、井戸水を一番大きいマグカップに入れて戻った。
 
 祖母の家へ二リットルのペットボトルを五本ずつ運んで来るのは大叔父さんなのだ。大叔父さんの労力をあんな女のためには使わない。使いたくない。
 予感的中。菅野は袋を口にあてて嘔吐している。朝ごはんが早かったのか、食べていないのか、吐いているのは胃液だけのようだ。

 じいさまが戻ってこない。
 首藤のじいさまが天狗に連れていかれた。
 祖母はまがった腰をそれでもまっすぐにして仁王立ちし、腕組みして菅野をにらんでいる。

 まどかさんがタオルの端を水でぬらして、菅野に渡している。
 菅野はタオルで口を拭い、「おじいさんが、おじいさんが」と弱々しく話しだす。
「天狗に連れていかれて……」
 わたしはそっと井戸水を捨てて、ペットボトルの水をマグカップに注いだ。自分の意地悪さに心が痛む。
 菅野さんはむせながらを水を飲み干した。
 しようがない。新しいペットボトルをまどかさんへ渡した。
「すみません」まどかさんが小声で言った。
「おまえさん、天狗を見たんか?」
 菅野さんへかける祖母の言葉はきつい。
「おじいさんの『はよ戻れ』という声が聞こえて、ザァッと風が吹いて、気がついたらおじいさんがいなくて」
「じいさまは天狗に連れてかれたか」
 祖母は空を仰ぎ、それから天狗山の森を見た。木々は静かに風に揺れている。さわさわと風の音が聞こえる。
「いいか、じいさまはおまえさんを助けたんだぞ。よおく憶えておけ、菅野。おまえさんのせいでじいさまは戻れなくなった。天狗に連れていかれたんだ。
 なにが権利だ、なにが迷信からの解放だ、おまえ、邪魔するなとまで言っといてこのザマだ。じいさまが連れてかれたのはおまえのせいだ、菅野。忘れるな」
 祖母の口が搾りだす言葉はダミ声でかすれている。
 浅はかなよそ者への憎しみ、じいさまを連れていかれた悔しさ、祖母の怒りは底無しに深い。
「いいか、おまえさんら。菅野のゲロが入った袋はちゃんと持って帰れ。おまえらの不始末の後始末をする義理はわたしらにはないからな。
 ええか、ちゃんと家へ持って帰って捨てろ。たとへゴミ箱でも、他人を煩わすような場所に捨てるなよ。そんなことをしたら、おまいらを天狗に追わせるぞ」
 祖母の嘘よ、現実になれ。

 背中を丸めた菅野さんがそれでもスタスタと白いワンボックスカーへ歩いていく。すこし離れて米田さんと坂野さんとまどかさんがついていく。
 まどかさん、坂野さん、米田さん、いろいろうまくいきますように。
 わたしは走り去る白いワンボックスカーを見送った。手は振らなかった。


 天狗山は地図に載っていない。
 天狗山の北は低い山々が連なっている。
 天狗山の全体に木々が茂り森になり、こんもりと「山」のように見せている。
 そして五月、落葉樹の新芽が開き常緑樹とともに天狗山は緑のさまざまな色合いを見せている。
 近くの、あるいは遠くの山々と緑を競い、たしかにハイキングにはもってこいの新緑だ。
 天狗山に連なる森は无乃郷のぐるりをとりまいて、无乃口だけが外へ開いている。
 天狗山の裾を護るように東からじいさまこと首藤さん、祖母加藤美衣、伊藤加奈江さん、木藤さん、そして西の佐藤さん、五つの家が距離をとりつつ建っている。
 五軒とも古くからの家と言われてはいるが、いつからあるのかはわからない。どの家にも縁起や家系図などはない。
 一番古い家は西の佐藤さんで、江戸末期に建てられたと言われているようだが、農家の造りで重厚さなどはなく、さほど手入れもされず古さだけが際立っている。
 今日じいさまが天狗に連れていかれて、残るは祖母と西隣の伊藤さんだけになった。
 祖母の話では、木頭さんの家は平成の中ごろには誰もいなくなった。佐藤さんの家もそうだ。
 両家とも次代の人が挨拶に来て、「申し訳ない」と深々と頭を下げていった。
 祖母は、「これでいいんですよ。こうして終いになっていくんです。達者でいてください」と深く頭を下げた。母からそう聞いた。
 佐藤家のまどかさんのお兄さんは天狗山の家の様子を見にくるだけで、修繕をしたり掃除をしたりなどはしないらしい。无乃郷の里の家に泊まり畑の面倒をみて帰っていく。
「そのときは必ずわしの様子を見ながてら挨拶に来てくれる」と祖母から聞いた。

 わしらで終いにしよう。五つの家はそう話しあったのだ。
 もともと无乃郷を終わらせると合意があった。そして誰にも後は継がせないとはっきり決めた。誰一人、守り人を終わらせることに引け目を感じないように、罪悪感を持たないように。
 手始めに遠縁の家族、子や孫を无乃郷から出し、无乃郷に寄せつけないようにしたのだ。
 
 祖母はここ半年ほどお隣の伊藤のばあさま、加奈江さんの姿を見ていない。わたしは一度も伊藤加奈江さんに会ったことはない。
「加奈江さんはもう消えているだろうと思う。わしより十も歳が上だからなぁ。昔っから、そうだな小さいころからあんまり外に出ん人だったけど、歳をとってなおさら外へ出なさらんようになった。
 まさか山に入って天狗にさらわれたわけじゃないだろうがな。もしかしたら自分で天狗山に入りなさったかもしれん」
 祖母もめったに外へ出ないようだし、連れ立ってお散歩なんてことはしない。
 それではおたがい顔を合わすタイミングもないだろう。
 祖母はここ半年ほど、加奈江さんの玄関に食料や生活用品が置いてあるのを見ていないと言う。それなら加奈江さんも同じように祖母の家の前に荷物が置いてあるのを見ていないだろう。
 祖母と首藤のじいさまも、朝に外へでておたがいに挨拶を交わす習慣はなかったようだし、たまにはご飯をいっしょに、ということもしなかったようだ。
 自分の置かれている環境が辛すぎて、一人でいることがいちばん楽だったのかもしれない。
 みんなして、天狗か死のお迎えを待っているみたいだ。
 消えるとは死んだということなのか。天狗にさらわれなくても消えたなら、それは死んだということになってしまうのか。
 祖母もじいさまも「そんなもんはわからん」と言うだけだった。

 お隣の加奈江さんの生存確認に誰も訪ねていないので、実はまだ健在なのかもしれない(ありえないと思いつつ)。
 无乃郷の伊藤家の畑は、雑草は元気だが野菜の姿は見られない。伊藤さんの家も廃家特有の寂れかたをしている。
 祖母は「加奈江さんは消えたんだ。もう残るはわしだけだ」というばかりだ。
 祖母は加奈江さんの家をそっとのぞいてみたのかもしれない。

 祖母は首藤のじいさまを待っていた。わたしに悟られないように待っていた。
 じいさまは戻ってこないとわかっていても待っていた。

「まぁちゃん、もう帰る時間だ。由子が待っとるで、早よう源治の家へ戻れ。源治のとこにも万歳にも泊まらんと、まっすぐ名古屋へ帰れ」
 わたしはしぶしぶ自転車に跨った。
 祖母といっしょに待っていればじいさまが戻ってくるような気がしていたのに。
 帰りぎわに祖母が言った。
「なにもかも、ようわからんくなった。真希、おまえはもうここへ来るな。もう来ちゃならん。いいな。由子にもそう伝えとけ」
 帰り道、わたしは泣きながら自転車をこいだ。
 もうこなくていい。
 わたしはほっとしていた。ここへこなくてもよくなった、よかったと。
 自分で気づかないふりをしていたけど、ほんとはいつだって来たくなかったんだ。
 祖母に会うのが辛かったのだ。祖母はよく笑った。それでもわたしは祖母の孤独を強く感じてしまっていた。
 天狗山は怖くて大嫌いだった。でも祖母に申し訳ないから、そんなこと思っていないふりをしていた。
 おばあちゃんにも、自分にも、わたしは嘘つきだ。
 祖母は天狗山で一人になってしまった。おばあちゃん、ごめんね、ごめんなさい。

 大叔父は涙でぐしゃぐしゃのわたしを見て、「そうか、わかったよ」と言った。
 母は「そうだね。これからは終わりを待つってことね」と言った。
 なにもかも言わずもがな……。
 祖母の家には電話がない。でも大叔父も母もわかっていた。
 祖母は一人でお終いを待つのだ。
 やっぱり天狗の守り人は何か違うのだろうか。わたしはどうなのだろう。わたしもほかの人とは何か違うかもしれないと、心の隅っこで思い続けてきた。違っているのだろうか。
 それがわかる人にはわかる程度に。そしてわかる人はほとんどいない。无乃郷は知られざる里だから。
 たとえば兄とわたしはどう違うのだろう。祖母と母にしかわからないもの? おにいちゃんはどう思っているのだろう。
 そんなことを兄に訊いたことはない。これからも訊かないだろう。
 続く。

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