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小説未満 寒い夜明け

 あれもこれも忘れてる。  腕時計も、スマホまで持ってない。取りに戻る時間はあるんだろうか。 焦ってしまう。不安にすっぽり包まれた。  わたしの前を行く人が、「早く、早く」と心配そうに振り向く。知ってるはずの人だけど、誰だろう。  一歩、二歩と必死に歩く。けれど足が重くて進めない。  どんどんおいていかれる。○○さん。呼びかけると、○○さんは振りむいて「急いで」と言う。  ○○さん、呼びかけているのに誰なのか思いだせない。  気持ちがあせって息苦しい。それでも右足、左足と一

    • 雛さまを見送れり

      「雛さまの船に乗る」から四年後……  母が送ってくるLINEのメッセーッジは短い。  その短いメッセーッジが縦に列をつくる。  金曜の夜、まもなく十時になろうとしている。  まずは『こんばんは』のスタンプからはじまった。 ──明日はまぁちゃんとランチすることになった  まあちゃんは母の妹である。  母は三十年以上前に寿退社した地元銀行から声がかかり、ここ二十年ほど契約社員として働いている。叔母は総合病院で看護助手をしている。  そんなカンレキ越え姉妹が、有給をとったりせず

      • 小説未満 気になるのは後ろむきの二人

         朝の夢  カルチャー教室へ行こうとしていた、ような気がする。  誰もいないので、『誰もいないなぁ』と思っていた。  部屋に入ると、二階建てのような講義室のようで、二階部分は学生と思われる若い男女が席をうめ、空いている席はなさそうだ。  ここへ座るつもりはない。場違いだ。  下を見るとそこは作業場のようでそれぞれ形が違う机が無作為に置かれている。一見すると五台か六台の机がそこにある。だが数えるたびに数が違ってくる。  気持ちが焦る。どうしよう、どうしようと不安になる。

        • 天狗の供物と夜叉の褥 14/14

          私説  米田敦さんは見かけ以上に人脈作りが上手そうだ。  米田さんと話らしい話をしたことがないけど、今回は単純に「なんかすごい」と思った。獲物を求めて一人で動き、何がしか収穫してくるタイプだ。  そろそろ梅雨が明けてもよさそうな土曜日。また雨が降っている。蒸し暑さはないので、窓を少し開けて風を入れる。  Lサイズピザを二枚宅配してもらって、おきまりのサラダを大盛りにして、あとは牛タン塩釜焼きでランチ会をした。  メンバーはいつもの四人+まどかさんと坂野さん。坂野さんの広重

        小説未満 寒い夜明け

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        • 小説未満
          2本
        • 12本
        • 天狗の供物と夜叉の褥
          14本
        • 小説
          19本
        • sf
          9本
        • 千年大祭
          2本

        記事

          天狗の供物と夜叉の褥 13/14

          美濃國聞書  午後二時を過ぎた。万歳はにぎやかだった。  お昼ご飯が身体に行きわたり、昼寝にちょうどいい微睡に意識を持っていかれそうだ。   柏酒村役場に近い地域医療センター休日外来で手当てを受け、五針縫われて万歳へ戻った塔矢さんは、しきりに左肩を動かしてみては「いてっ」と口を歪めている。  医師に「ナイフを抜かなかったのはいい判断でした」と言われたと、少し自慢げだった。傷は深くはないものの、浅くはなくて、当分左手を使わないように言われたらしい。 「ほんとは出血が恐いんじ

          天狗の供物と夜叉の褥 13/14

          天狗の供物と夜叉の褥 12/14

          褥  走り出して一分もたたないとき、シートベルト未装着音が鳴りだした。  助手席を見ると恭輔さんが全身を震わせ、両腕で自分を抱くように背中を丸めて下を向いている。 「車を止めてくれ。降りる」  恭輔さんの様子はあきらかに大丈夫じゃない。車を左に寄せて停めた。  助手席側は膝丈ぐらいに伸びたヨモギとセイタカアワダチソウがガードレールのように列を作っている。  降りるのを手伝おうととすると、「僕に触るんじゃない」と喘ぎながら言う。 「粒化のはじまりだったら、真希も粒化に巻きこむ

          天狗の供物と夜叉の褥 12/14

          天狗の供物と夜叉の褥 11/14

          研究室  一面の白い砂。  これが夜叉の褥、なの?。直径何メートルぐらいだろう。もっと広いと思っていた。  浅く白い皿のような場所の中央に、その半分ほどを占める円形の白く低い建造物があった。建物はうっすら灰色をしている。白が汚れたような薄い灰色だ。  夜叉の褥。初めて見る場所だ。既視感がまるでないのがかえって不思議だった。いつも心の中にあって、よく知っている場所のように思っていたが、実際に見るのは初めてなのだ。  もっとこう、なんていうか。というか既視感もなにも、イメージが

          天狗の供物と夜叉の褥 11/14

          天狗の供物と夜叉の褥 10/14

          夜叉の褥  ダッシュボードに貼りつけてある六センチほどの錫杖の遊環がシャクシャクと小さく鳴った。北方寺の住職が「魔除になるからね」と下さったものだ。天狗も夜叉も避けてくれますように。  首藤のじいさまの家の前を通り、天狗山への入り口も通過した。  バックミラーとルームミラーに、天狗の守り人五軒の家を見ることはできない。祖母のやじいさまの家もみんな沈んだ。  森の木々が不自然に揺れている。  緩い坂道を登る。天狗山の森の木々の新緑を近く感じる。  そして緩い緩い下り坂。  恭

          天狗の供物と夜叉の褥 10/14

          天狗の供物と夜叉の褥 9/14

          わたしの中の恭輔さん  ペールグリーンの外壁が優しげなヴェルデ川東は築十年ほどの木造二階建て。一棟四世帯の建物が敷地内に三棟並んでいる。いつも通り平穏で、洗濯物を干している部屋がある。ベランダの鉢植えに水やりをしている人がいる。  西101が恭輔さんとわたしの住まいだ。特に変わった様子はなさそうだけど。  けれど部屋に鍵がかかっていなかった。  ドアを開けると二人のサンダルがてんでに転がっていて、恭輔さん愛用のスニーカーが見当たらない。下駄箱の靴は踵をこちらに向けてちゃんと

          天狗の供物と夜叉の褥 9/14

          天狗の供物と夜叉の褥 8/14

          仲間たち  一昨日、五月一日。  武田孝高さんと守口圭子さんとがヴェルデ川東のわが家へやってきた。  四人で過ごすのは三回目だろうか。正月三日には武田さんと守口さんのお宅を訪問した。  お昼にMサイズのピザ二枚をデリバリー、レタスをメインに冷蔵庫の中の野菜をテキトーにサラダに盛り合わせた。  冷蔵庫をのぞいた圭子さんが手早く二品作ってくれた。  武田さんと恭輔さんは大学は違うが、プログラミングの研究仲間で今でもお互いにコードを見せあっているという。  武田さんはSEで、「サ

          天狗の供物と夜叉の褥 8/14

          天狗の供物と夜叉の褥 7/14

          商人宿「万歳」から无乃郷へ  それから三年後。わたしは二五歳、恭輔さんが三十三歳になる年の、五月一日恭輔さんがいなくなった。  五月三日、祖母が夢に現れて死出の挨拶をしていった。  恭輔さんが行方不明。  わたしは押しつぶされそうな不安を胸に、なんとか自分を奮いたたせようといっぱいいっぱいになった。  母に、无乃郷へは恭輔さんの仲間二人といっしょに行きたいと言った。  事実婚夫婦の武田孝高さんと守口圭子さん、二人には三回会っただけだけれど、恭輔さんが信頼しているのがよくわ

          天狗の供物と夜叉の褥 7/14

          天狗の供物と夜叉の褥 6/14

          无乃郷がつきまとう  そして四年、わたしは無事大学を卒業して、しかも職を得ることができた。  広告制作会社、プロダクション・アドテラス。社長は首藤倭文(しず)さん三六歳。副社長と専務が一人ずつ。  総務、経理など組織を支える部門は正社員二名と契約社員が三名。クリエイター部門は正社員一名、ウェブも含めて契約社員が二五名。そしてフリー登録クリエイターは○○名、出たり入ったりでよくわからないが三十人以上いるそうだ。  正社員はアドテラス立ち上げ時からのメンバーだ。クリエイターでも

          天狗の供物と夜叉の褥 6/14

          天狗の供物と夜叉の褥 5/14

          田中恭輔さん  それから七年後の五月三日、祖母が亡くなったと大叔父から連絡があった。消えたとは言わずに亡くなったと大叔父は言った。 「俺んとこに夢で挨拶にきたよ。由子んとこにも行ったか?」 「かあさん、来てくれました。邦弘のところにも真希のところへも、かあさんは来てくれましたよ」  祖母は夜明け前にわたしの夢に現れて、両手をついて頭を畳につくほどに下げ、「お世話になりましたな。ありがとう」と言い、襖の向こうの闇に消えていった。  母も同じ夢を見た。  母もわたしも四時前に

          天狗の供物と夜叉の褥 5/14

          天狗の供物と夜叉の褥 4/14

          終いにしよう  頭がキンキン痛む。  痛いの痛いの飛んでいけ、と両手で髪をかきあげ後ろへ流す。お願い、おまじない、効いて。  すぅっと痛みが消えた。優しい風が通っていく。  悲鳴が聞こえた。天狗山の奥から聞こえてくる。  天狗が動いて、去る。風が吹いて頭痛が消える。  祖母も母も同じ反応をする。これが无乃郷へわたしが来て、兄が来られない理由なんだろうか。母が来て、叔母は来ない理由。  天狗が動くときがわかる。ほんとに?  天狗山の入り口から菅野が転げるように飛び出してき

          天狗の供物と夜叉の褥 4/14

          天狗の供物と夜叉の褥 3/14

          天狗山と夜叉の褥  祖母はいかにもお年寄りな雰囲気を醸し出して三人に話しかけ、ついでのように根掘り葉掘り聞きいている。  男二人は背の高い米田くんと坂野くんで大学三年、女は富士崎さんで大学二年だと自己紹介した。  三人とも大学は別々で、菅野のサークルに入っているという。  山へ入った菅野史栄は三六歳、文化人類学で博士の学位を持ち、いまは准教授の椅子を狙っているらしい。三人とも菅野を嫌っているようなそぶりをみせる。 「でも、菅野さんの研究は興味深いんです」富士崎さんが呟いた。

          天狗の供物と夜叉の褥 3/14

          天狗の供物と夜叉の褥 2/14

          招かれざる訪問者  祖母は祖父とよく花札をやっていた。肩を揉む、足のマッサージ、差し入れの菓子、イチゴを一粒、リンゴを剥くのはどっち、などの小さな賭けを楽しんでいた。  小学生のわたしは坊主めくりの相手をしてもらっていた。  祖父が天狗に連れていかれてから、祖母はわたしを相手に「こいこい」をするようになった。  高校三年になって、祖母との花札勝負はわたしの勝ちが多くなってきた。  祖母が手に持った札をパラリと落とした。おばあちゃん、集中力がなくなってきたのかな。 「おばあ

          天狗の供物と夜叉の褥 2/14