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天狗の供物と夜叉の褥 5/14


田中恭輔さん

 それから七年後の五月三日、祖母が亡くなったと大叔父から連絡があった。消えたとは言わずに亡くなったと大叔父は言った。
「俺んとこに夢で挨拶にきたよ。由子んとこにも行ったか?」
「かあさん、来てくれました。邦弘のところにも真希のところへも、かあさんは来てくれましたよ」

 祖母は夜明け前にわたしの夢に現れて、両手をついて頭を畳につくほどに下げ、「お世話になりましたな。ありがとう」と言い、襖の向こうの闇に消えていった。
 母も同じ夢を見た。
 母もわたしも四時前に眼が覚めてしまった。早すぎる目覚めだけど、そのまま起床して身支度した。
 広くもない家で妻と娘がガサゴソ動けば、父の眼も覚める。
 三人が台所に集合し、母は朝食の支度をはじめた。まずコーヒーメーカーが豆を挽きはじめる。 
「お義母さんの葬式はどうする?」父が眠そうに問う。
「遺体は消えてしまっていると思うから、役場に届けを出すだけになるの。无乃郷と天狗山のことは役場も承知してるから、除籍届を受け付けてくれる。それから北方寺でお葬式をしてもらうの。
 隣のじいさまが戻ってこなかったとき、私が首藤さんへ連絡したのよ」
「首藤さんって、名古屋にいるんだろ。由子から連絡もらって、それでやっぱり親族は无乃郷へ行かれるのか」
 母はこくりとうなずいた。
「北方寺でお葬式をしてもらうんです。土葬するわけじゃなし、火葬するわけでもないから、位牌を作ってもらって、お葬式のお経をあげてもらうだけなんだけどね。
 无の口を出るとそこは字名で『无乃前』という集落があって、そこにある北方寺が无乃郷の者の菩提寺なんです。首藤さんから北方寺で葬儀をしてもらったとメールをいただいたわ。役場へ届けも出してね」
「なるほどなぁ」
 どことなく腑に落ちない顔で、それでも父はうんうんとうなずいていた。
 母は淡々と朝食の準備をしている。
 一人で何かしら考えたいのだろう。わたしが手伝おうとしたら、シッシッとばかりに追い払われてしまった。
 ふだんトーストするだけのパンにひと手間かけはじめた。キャベツを千切りにしている。こういうときの母は心が少しばかり不安定なのだ。
 コーヒーが香ってきた。
「おとうさん、やっぱりわたし、今日无乃郷に行きたいの。できるだけ早く母の葬儀をしてあげたいし、叔父さんが心配だから。パートのお休みもらって、无乃郷へ行ってこようと思うんだけど、どうかな」
 父はしぶしぶ、「そうだなぁ、行くべきなんだろうなぁ。俺も行くよ」とつぶやいた。
「ありがと。でもおとうさんは留守番してて。真希はどうするの?」
 父は母から予想通りの返事をもらって、ふんと鼻息を出した。ほっとしたのか不満なのかわからない。
 わたしは今日一人で行くつもりだったことなどおくびにも出さない。
「行くよ。ほんとうなら昨日行くべきだったと思ってる。昨日一日、もしかしたら恭輔さんから連絡があるかもしれないと思いながら、様子をみてしまったことが間違いだったような気がしてしょうがないんだ。
 それにおばあちゃんが天狗山へ来いと言ってる気がする。
 今日はぜったい行っとかないと、この先、後悔にさいなまれて、生きていけなくなりそう。恭輔さんはわたしのことでなにかトラブルに巻き込まれたとしか思えない」
「そうか、そうだな」
 父も母も表情が暗くなる。とくに母の深刻さが増す。
 だが父は表情をキリッとさせた。
「恭輔くんのことがあるな。だがくれぐれも気をつけろよ。無理はするなよ。かあさん、邦弘は?」
「邦弘が行くと言っても行かせない」
「そうか」
 父はたちまち心配そうな顔に戻ってしまった。
「真希も行くんじゃない」と言いたくてしょうがないのを我慢しているのがバレバレだ。
「かあさん、邦弘には俺から知らせとくワ」
「ありがと、とうさん。いろいろごめんね。いろいろお願いね」
 サラダボールにはレタスとベビーリーフ。千切りキャベツに卵を巣篭もり風に落としたホットサンドは、黄身が破れて焼けた卵がパンからはみ出ている。
 さすがに早すぎる朝にはボリュームがありすぎだ。
 サラダを取り分け三人それぞれ好みのドレッシングをかける。できたてのホットサンドは熱くて舌に火傷をしそうだ。
 とにかく食べる。身体を元気にして心を煽らなくちゃ。
 不安が襲ってきて、きりきりと胸が痛む。
 何もかも悪い兆しに思える。
 恭輔さん、恭輔さん、恭輔さん……。泣くな、しっかりしろ。怯むんじゃない。

 田中恭輔さん。この七年付きあってきたわたしのたいせつな人。
 ゴールデンウィーク五月一日の夜、恭輔さんがいなくなった。


 七年前。
 美術大学の学生になりたての春、わたしはスケッチブックを持って名古屋城内堀の桜を観にいった。
 城の石垣の上からお堀へむかって何本かのソメイヨシノが満開の枝を伸ばして堀へ下ろしている。桜は散りはじめていた。
 花びらが集まっていくつかの小さい花筏をつくり内堀の水面に揺らいでいた。
 石垣から内堀の歩道までは距離があるけれど、歩道から眺めるしかない。
 石垣を装う桜は自慢げで美しい。
 さして広くない歩道は花見の人が歩いているし、ランナーもいる。
 わたしは歩道を歩きながら三ヶ所スケッチして、あとはスマホで石垣と桜と内堀を何枚も撮った。
「きれいですね」
 声のほうに顔をむけると、笑みを浮かべた二〇代なかばぐらいの男性が立っていた。
 痩身中背、頭頂に癖っ毛がゆるく戯れ、襟足はすっきり刈りこんである。縁なしのメガネの奥には優しい眼差しがあった。
 ジャケットのポケットに親指をひっかけていた。
「ああ、これ? 親にさんざんポケットに手を突っこむなと言われてるうちに、親指をひっかけるようになったんだ。手ぶらな手って行き場がないだろ」
 わたしがうっかり笑ってしまったら、「やっぱりおかしいかな」とつぶやいた。
「あの、ええ……っと……」
 どう返事をしたらいいのか迷っていたら、「笑ってくれただけで楽しいよ」と言った。
「スケッチが趣味?」
「趣味とはちょっと違うかもしれないです。四月から美大の学生になりました」
「へえ、いいね。専攻は?」
「日本画です」
「日本画! なんだか……」
「遠慮せずに『食べていけない』と言ってください。担当教授の開口いちばんがその言葉だったんです。『食えないよ、稼げないよ』と何人かに言われました」
「へえ、そうなの? たしかに日本画だけで食ってくのはたいへんそうだ。僕は、なんだかきみらしい、と言おうとしたんだ」
「えっ、わたしらしい? 会ったばかりなのに?」
 いつもならイラつくところだけど、その人にそう言われるとなんとなく嬉しかった。
「雰囲気がね。なんというか、ほらシルクロードを行くラクダに乗ったキャラバンの絵があるだろ。きみからそんなイメージを受けて、惹きつけられて、声をかけたんだ」
 そんな台詞を照れずに言った。
 きっとわたし、そう言われて嬉しさを隠しきれなかったと思う。
 砂漠をいくキャラバン。
 わたしが心酔する巨匠の絵だ。その画集が欲しくて、でも中古品しかなくて、わたしには高すぎて、お年玉とお小遣いをはたいて買った。

 裕福でもないのに美大予備校へ通わせてくれた両親。だからこそバイトはせずお小遣いでやりくりしていた。
 予備校を休まず、デッサンに取りみ、時間があれば描いていた。

 祖母に「もう来るな」と言われてから、記憶の中にあるはずの无乃郷と天狗山を描いてみるのだが、天狗山の向こうに連なる山々と无乃郷を囲む山の連なり、天王神社と森の木々と赤い鳥居、无乃郷の里に点在していた古い家々、天狗山のすそにたつ五軒の家は描けるけど、天狗山がうまく掛けない。
 さして特徴のある山じゃないからだろうか。豊かな森だけが目立って、山に見えないからだろうか。それともわたしの内心が天狗山を拒否しちゃっているのかもしれない。
 祖母にも母にも叱られるので天狗山と无乃郷の写真は一枚も撮っていない。あの菅野さんのグループの米田さんが、六桁はしそうなカメラで何枚も撮っていたけど、ちゃんと写っていたのだろうか。
 撮っても写らない山。そうあってほしいと思う。

 そのころは天狗に追われる夢をよくみた。天狗は姿も形も見えなくて、ただただ怖くて追われていた。天狗に立ちはだかれて影にすっぽり覆われ悲鳴をあげながら眼を覚ましたこともあった。

 青い夜、満月の砂漠をいくラクダのキャラバン、オレンジ色の夕暮れの砂漠をいくラクダのキャラバン……こういう世界に近づきたい。シルクロードの画集の絵を水彩や色鉛筆で何枚も模写していた。
 大学を卒業したら描くことを仕事にしていきたいと、あれやこれや具体的に考えるようになっていった。
 父と母はフツーに結婚したらしいが、わたしと母は違う。祖母がわたしを見る眼からして、母とわたしは違うような気がしてしょうがない。
 わたしは母より天狗の守り人に近いのではないだろうかと勝手に推測して、ひとりで生きられるようにしなくてはと思いはじめていた。

 ときどき風が強く吹くと桜の花びらがお堀を渡ってこちらまで舞ってくる。水面が波だち小さい花筏も近くへ寄ってきた。
「僕は田中恭輔、プログラミングを生業にしてる。僕も三月いっぱいで会社を辞めて独立したばかりなんだ。この四月が出発のときだ。きみと同じだね」
 わたしはこの人ともっといっしょにいたいと思った。
「黒野真希です。はじめまして」
「はじめまして。よかったら堀川っぷちを少しいっしょに歩かないか」
「はい、賛成です」
 恭輔さんと堀川端をずいぶん歩いて、ランチを食べ、カフェで恭輔さんはコーヒー、わたしはココアを飲み、イタリヤ料理点で晩ご飯までごちそうになってしまった。
 恭輔さんとのはじまりの、たいせつな一日。保存して折りにふれ思いだし、なんども脳内再生してみる一日になった。  続く

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