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【1周年企画】Social Coachingの展望は?

はじめましての方は、はじめまして。いつもお世話になっているみなさんやご無沙汰の方々、こんにちは。Social Coachingを運営するhal創業者の山田です。

Social Coachingの1周年に際して、コミュニティコーチのみなさんがお祝いとしてのnoteを書いてくださっています。僕には、役割・ロールとして「展望」について語るnoteの寄稿が求められています。今日は、Source Principleで言うところの"Source"として、Social Coachingの次を書いていきたいと思っています。

ビジョンのようなものは、公式noteで発信される類のような気もします。しかし、ビジョンつまりアイディアとは、生態系の中のある一個人から産まれてくるものです。個人を媒介として、集合のアイディアが顕在化するといった方が正確かもわかりませんね。そういうわけなんで、個人・自己から逃げずに言葉が立ち上がってくるのを待ち個人noteを用いるわけです。山田瑠人としての言葉に権利の自覚と責任の保持を試みるわけです。

"Source Principle"の素晴らしい観点の一つは、組織や事業を点で見ずに、過程・プロセスとして観るところにあります。Organaizationという名詞ではなく、Organizeという動詞で観ます。これは生物学者の福岡先生がおっしゃるところの「動的平衡」的な見方と言えるでしょうね。機械的・無機的なOSから生物的・有機的な見方への更新です。

そのため、展望として語るにはあまりに近い未来が観えています。現在と過去と渾然一体とした未来です。コーチングはPresentism・現在主義側面も強いですから、自然かもわかりませんが。

本題に入ります。さっそく矛盾しますが、まずSocial Coachingというイニシアティブがどんな発想なのかを紹介します。矛盾というのは、この発想というのはどんな未来を心の裡に抱いているかを語らざるを得ないからです。次に、その発想と今ある事実や集合にあるfeeling・雰囲気をすり合わせながら聴こえてくる「次」について語ります。これが本題の「展望」でしょう。

根本的なアイディア:「こころの包摂」に繋がるマイノリティ包摂に関する活動の促進

Social Coachingもとい運営会社halの発想は「こころの包摂」にあります。Mental Inclusion とでもいいましょうか。Phychological Inclusionはとっつきにくくて排他的な印象ですもんねェ。とかく、あらゆるこころが包摂されて欲しいんです。それが一番安心です。この世界で、安心したいんです。してほしいんです。これまでと今、僕が体験している世界と他者と、自己は不安です。恐ろしくて、切なくて、哀しいんです。みんなもそう感じているように観えてしまいます。投影と言い捨てますか?でも、隠しているように聴こえるんです。「投影」という素晴らしい観方が自己療養に取り組まざるを得ない呪いになったら終いです。投影は自己療養の契機・気付きとしてパワフルであることに負けず劣らず、世界にあるはずの、ふけば消える火種の、か細い声の、拡声器なんです。

大きな声(大きいこころ)やマジョリティの声(多数の心)は特権という形式を借りて重視されてきました。僕は、小さな声(小さな心)やマイノリティの声(少数の心)が包摂される世界であって欲しいんです。マジョリティの声も本当に聴かれてきた歴史はありません。本当はマジョリティの声なんてものは存在しませんから。頭の中で勝手に、都合がいいから適当に、最大公約数で括られてるに過ぎません。そう言う意味で、この世界で誰も包摂されていないんです。卑近な例ですが、女性の権利が語られるとき、高齢男性の苦労がカウンターパートとして当てられる構図があります。難しい問題です。女性の権利剥奪は日本において真実としてあります。男性が権力と同時に責任を重たく抱えてきたことも真実です。それは、家庭内の女性の支援、それも社会通念によって強制される支援で成り立ってきたのも真実です。どちらにも傷つきがあります。問題への答えはある種一つだと思っています。対立構図ではなく、「一つひとつの声」を掬い上げて合意へと昇華していく他ないです。対立構図は、議論のお作法としてとても役に立ちます。が、お作法に過ぎないんですから、それを真実・善・美としてはなりません。もっと深いところに美があり、善があり、真実があるはずです。

長くなってしまいました。僕がマジョリティを軽視しているとか、敵として見做していると思われたくなくて。なんなら僕はある意味ではマジョリティ・特権者です。日本社会において男性で、日本国籍で、五体満足で、経営者で、大学に行きました。同時にマイノリティ・非特権者です。若く、政治的・経済的に弱く、黄色人種で、精神疾患や先天的病があり、大学中退者です。

とかく誰もがマイノリティになり得る世界で、あるマイノリティ群の不条理な悲しみと怒りを減らせたらとか、無条件の笑顔や喜びが増えたらと願う人たちの中に、「社会起業家」という一つの公約数があります。僕はこの人たちが好きです。ヒーローです。誰かを助けようって命を削っている人たちです。無自覚にせよね。

やから、社会起業家をサポートするというアイディアは「こころの包摂」という個人的なアイディアとこれまで・今の社会の接面です。素敵な接面です。社会起業家が健やかに、安心して、創造的に活躍することができれば、マイノリティのこころの包摂が進んでいくと思いませんか?そしてコーチングをはじめとするプロセスコンサルテーション文脈を抱く援助は、レバレッジポイントの一つだと思いませんか?

20代の僕をとんでもなく支えてくれてきたコーチングを、「社会起業家」が利用可能なクオリティと形式に編集していくことは、このような文脈に息づく情熱的で、ほとんど祈りのようなアイディアなのです。

いくつかの展望:何が起こっているか、あとそこから聴こえてくるごく近い未来

少し補足です。「社会起業家」というのは言葉です。つまり、その人がどんな自覚であるかによって、「社会起業家」を自分ごととするかは異なります。コーチングはとっても柔軟ですから、その方の自認が「社会起業家」であるかは関係ありません。パーパス志向の経営者と言ってもいいですし、ソーシャルグッド志向のリーダーでもいいんです。定義論はナンセンスということです。

ここまで語らせていただいたような、マイノリティを支える社会起業家を支えるSocial Coachingという現象が、次にどんなステップを希求しているかということを、創業者・Sourceの視点から語らせていただきたいです。

しかしすでに3000文字。書き続けても文字数が気になって尻すぼみとなることは必至でしょう。そういうわけで、ここまでの原稿で担当者に見てもらいます。続きは、後編に譲るという形でもいいでしょうか。後編で、いくつかの展望についてお話しさせてください。朝令暮改ですね。ここまで読んでいただいてありがとうございました。後編を楽しみにしていください。

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