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母校誕生の秘話を知る

物事には常に始まりがあるはずですが、特別な事がなければ知らないまま過ごしていることが多々あります。
私の母校は、今年100周年を迎えました。
1923年に松山高等商業学校として誕生し、それから松山経済専門学校、松山商科大学そして松山大学と名称を変えて現在に至ります

OBの数は8万2000人を越えました。
最近になって母校の誕生には、三恩人と言われている3人の人物が関わっていることを知りました。
愛媛に学問の礎を築きたいと奔走した三人の人物がいて母校が誕生したのです。100周年を機に忘れてはいけないことだと思いました。

松山大学のキャンパス

大正12年の事です。
ふるさと愛媛に商業に特化した学びの場を作り、地域に貢献するより良き人材を育てたいと当時の松山市長だった加藤拓川(正岡子規の叔父)が働きかけ、資金提供を実業家の新田長二郎に進言し、実力と人望が厚った加藤彰廉あきかどに初代校長を依頼しました。
そのことがなければ私の母校は誕生していなかったのです。

その時代は、秋山好古、秋山真之、そして正岡子規など、愛媛出身の気骨のある人々が坂の上の雲を目指すがごとく夢を追いかけていた時代です。

地域のために学問の重要性を解き、そのために資材を無償で提供し、自ら学問の礎を築くために教育界に身を捧げた地域の先達の熱い想いを感じました。

どんなことでも始まりがある。それを知っておくことで、その存在の意味やありがたさが分かる、大学100周年を機に先達の思いを受け継いで、後世に伝えることを忘れてはいけないと思いました。

100周年を記念するキャンパス内のモニュメント



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