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昭和のXmas
クリスマスの思い出は人それぞれだと思う。私は何故か小学生の頃のクリスマスのワンシーンを思い出す。1960年代、高度経済成長期のクリスマスだ。
父がいて母がいて、祖父がいて私たち姉妹がいる。幸せな時代の愛すべき昭和のクリスマスの思い出だ。
父はとても優しい人だった。
小学校の教員をしていた父は、子どもたちと過ごすことが好きだった。
クリスマスツリーを家族で飾り、電飾を付けてクリスマスの何日も前からその気分に浸っていた。
私も7歳下の妹もサンタクロースはきっといるんだと思っていた。
クリスマスイブの日にサンタさんがこっそりプレゼントを持って家にきてくれると思っていた。
だからクリスマスツリーの下に本物の靴下を置いて寝ていた。
クリスマスの随分前から父や母に「サンタさんにお願いしたいものはある」と聞かれて、「卓上ピアノ、着せ替え人形、ダイヤモンドゲーム」なんて金額に差を付けながら、欲しものを言っていた頃が本当に懐かしい。
我が家では毎年家族でクリスマスを祝っていた。美味しいご馳走を母と祖父が作ってくれていた。
鳥料理は必ずあった。鳥の足を母がカリカリに揚げてくれていた。とても美味しいかったが食べきれなかった。
欠かせないのはバラの花で飾られたバタークリームのケーキだった。
生クリームではないので、飾りのバラの花がしっかり硬い、重くねっとりとしたバタークリームのケーキだ。
食べきれない時は、スポンジ部分が硬くなってからも数日間食べていた。
あのほろほろと落ちるバターケーキの味が懐かしい。
イベント好きな父は自分でくじ引きを作ってくれた。家族の分だけ茶色の袋にお菓子やクルミを入れてみんなが引き当てるのを楽しみにしていた。何故クルミだったのかはよく分からない。
一等と五等の差がほとんどなかったのが父らしいと思う。
クリスマスには縁遠いはずのおじいちゃんも楽しそうに笑っていた。
あの時代の家族の団欒が忘れられない。
昭和の時代の温かい家族の愛に満ちたクリスマスだった。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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