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【怪奇小説】人間椅子後日談〈1〉

人間椅子後日談

〈概要・目次〉

 この作品は、全7話で完結しており、1~6話は無料、7話のみ有料で販売しています。

〈1〉

 あなたは江戸川乱歩の『人間椅子』という小説を知っていますか?

 ある男が革張りの立派な椅子の中に入り込み、その椅子に座った人間の「ぬくもりと重み」を全身で味わうという怪小説です。有名な小説なので、読んだことのある人も多いかもしれません。

 ですが、きっと誰も知らないでしょう。この『人間椅子』には、ちょっとした後日談があることを…

「だいたいねぇ君、椅子の中に人間が入っているなんて状況が、よく考えたら馬鹿げているのだよ」

 黒い上着を着た紳士風の男が、右の口角を吊り上げ、狡猾こうかつそうな笑いを浮かべながら言った。その向かいには眼鏡の男が座り、穏やかに微笑みながら珈琲を飲んでいる。

「江戸川乱歩大先生の作品だから、みんな『人間椅子』を名作だ、怪奇小説だと言ってたたえているがね、よく考えてみたまえ。椅子の中に人間が入っているんだぜ?そんなのはホラーではなくコメディさ」

 ここは古い喫茶店。薄暗い店内には、この二人の若い男以外に客はない。あとは数台の椅子が床に並べられ、客に座られるのを静かに待っている。どうやら、この二人は江戸川乱歩の『人間椅子』について議論を交わしているようだ。

 眼鏡の男が珈琲カップを置き、紳士風の男が座る椅子を指差しながら言った。その椅子もまた、『人間椅子』に出てきたような、一人いちにん掛けの革張りのソファだった。

「そう言うけどね、君。例えばだよ?もし、君が座っているその椅子の中に、まさに今、人間が入っていると想像したら、やはりゾッとしないかい?」

 紳士風の男は声を出して笑った。

「ゾッとなんてするもんか。こんにちは、と笑って挨拶するさ!」

 静かな喫茶店に、快活な笑い声が響いた。その声には、一縷いちるの恐怖も含まれていない。もし、椅子に人間が本当に入っていたとしても、彼はたしかに、こんにちはと挨拶をしただろう。

 紳士風の男は大きな声を上げたことを取りつくろうように、珈琲を一口飲んでから、つとめて冷静な口ぶりでこう言った。

「それよりも、僕は君の意見を聞いてみたいね。なにせ君は、椅子を作る職人なんだから。君はあの小説を本当に名作だと思うかい?」

 眼鏡の男は椅子職人らしい。自分の専門について意見を求められたその男は、顔から穏やかな微笑を消し、やけに真面目な態度で質問に答えはじめた。

「たしかに君の言うとおり、椅子の内部という空間に、大の大人が入り込むというのは現実的ではない。その点、『人間椅子』はコメディというかファンタジーだ。だけどね、僕は椅子を作っているとき、あの小説を思い出すことが度々ある。あの小説は確かにファンタジーだが、一方で、人間と椅子の関係を、みごとに描き出してもいる気がするのだ」

「ほう。と言うと?」

「椅子というのは、人間と最も密着する家具だ。人間の体を包むように、その全身を支えるのだからね。だから、人間は椅子の座り心地にこだわる。ごつごつ皮膚を圧迫するような椅子や、体との間に無駄な隙間があるような椅子は嫌だろう?そういう椅子に座っていると体を痛めるものさ。だから人間は、ぴたりと吸い付くような座り心地の椅子を求める。椅子職人の立場で言えば、そういう椅子を作るのが、我々の腕の見せ所なのだ」

「そのとおりだろうね」

「だが、ここで逆に、椅子の立場になって考えてみたまえ。人間が体に密着せぬ椅子に座ると体が痛むように、椅子のがわも、無理な負荷が掛かると壊れてしまうんだ。椅子だって、人間とぴたりと密着している方がいいということさ。
 座り心地という言葉があるだろう?あれは人間の立場から言った言葉だが、椅子にとってはその反対に、座られ心地という言葉があるわけだよ。だから、椅子職人は丈夫な椅子を作るために、「もし自分が椅子だったら、座面に乗られた時の感覚はいかなるものだろうか?人間ときちんと密着しているだろうか?座られて、どこかを傷めないだろうか?」と考えるわけさ。
 それはとりもなおさず、あの小説における、椅子の中に潜む人間の気持ちそのものではないかね?彼は常に、椅子と一体化して、座られる側の心地好さを追求しているわけだから。そう考えると、あの『人間椅子』という小説は、人間に座られる椅子の気持ちを、椅子の中の人間に代弁させたものと言えなくもない」

「ふむ。なるほど」

 紳士風の男は、「さすが椅子職人というのは、あの小説を一段深く読んでいる」と思ったようで、腕組みをして黙りこみ、じっと店内の椅子を眺めながら、しばらく何かを考えているようだった。

〈2〉

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