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未来はどこにあるのか (源氏物語について)

 石母田正の「戦後歴史学の思想」という本の中に「源氏物語」という小文がある。源氏物語がどういう作品であるかを論評した文章だ。

 石母田は、源氏物語を理解する上で必要なポイントを四つあげている。本文は長いので、私の方で要約してみよう。

 一つ目は、源氏物語が書かれた時代が、古代貴族階級の没落する時期にあたっていたという事だ。奈良時代を頂点とする貴族制度は次第に没落し、紫式部の頃には、貴族達は、荘園制に寄生した教徒の宮廷貴族の狭い世界に閉じ込められていた。そして「藤氏の専制支配と政争とによる貴族階級内部の不安と動揺と絶望はしだいにはっきりした形を取り始めた」。

 ここで大切な事は、藤原道長に代表されるような、その文化が最も高潮しているかのように見える社会制度がその内部では静かに腐敗を進行させていたという事だろう。

 二つ目は紫式部が、中流貴族の出自を持っていたという事だ。石母田は、紫式部の父、為時が受領階級である事を指摘した後、次のように書いている。

 「かかる受領階級は中流貴族の典型であるが、この時代における彼らの生活と政治的地位がいかにみじめで不安定であったかは多くの史料の示すところである。」

 石母田は、源氏物語に出てくる女性が、いずれも中流階級の女性のそれぞれの典型だった、と言っている。言い換えると、中流階級は、下流階級のように虐げられるだけでもなく、また、上流階級のように支配者として君臨するだけでもなく、それら両方の要素が複雑に流れ込んでいる中流だからこそ、あのような文学的豊富性が得られた、という事なのだろう。

 三つ目は、紫式部が内省的な性格だった事だ。これは、実際、源氏物語を読めば非常にはっきりする特質であるから、それほど説明する必要はないだろう。清少納言がプライドの高い、勝ち気な女性だったのに対して、紫式部は内省的で、反省的で、思考の勝った人物だった。それは作品の文体にも現れている。

 四つめは紫式部が、平安末期の女性作家だった事だ。当時は一夫多妻制であり、紫式部もまた妻の一人に過ぎなかった。男性優位の社会において、女性がその割を食うという事で、紫式部に様々な怒りや悲しみが澱のように沈殿していったのが想像される。石母田はこれを「非人間的な境遇と不幸」とはっきり言っている。この不幸が、源氏物語の成立に寄与したのも疑いない。

 石母田はこうした作品成立条件について述べて、それらを次のようにまとめている。

 「源氏物語は大づかみにいえば中流貴族層の最もすぐれた個性の矛盾と動揺の芸術的表現であった。それは矛盾の表現であるゆえに、単に中流貴族の生活や観念や女性の運命の平板な描写ではありえず、同時にこの階級が対立し隷属していた上流の宮廷貴族への賛嘆であり、追従であり、時代の支配的雰囲気に対する妥協でもあった。」

 石母田は次のようにも書いている。

 「おそらく紫式部はこの時代の女性の奴隷的な地位をふくむ貴族社会の現実に対して、この時代の中流貴族の女性として許されうる最もはげしい抵抗を、源氏物語を制作することによって行ったのではないだろうか。」

 つまり、源氏物語とは、中流貴族の女性である紫式部が、彼女や、彼女のような立場の人間が様々に経験しなければならなかった、社会的構造が生み出す困難や苦痛をその作品に封入した作品だという事だ。その際、芸術作品は、一つのイデオロギーの声に支配されるものではないから、作品の中にあるいは彼女の上流貴族への羨望が挟まれ、また、彼女を苛んだ社会の告発という、羨望とは反対の精神も作品の中に注ぎ入れられた。

 その構造について補足するなら、次のようなものだろう。紫式部は最初、当時の社会において女性を支配する男性の像を、理想的なものとして描きだそうと努めた。それが序盤の光源氏だ。自分達が屈辱に甘んじるのであれば、せめて、その支配者たる男性が「良き人」であると信じたかった。この精神構造は現代の我々にも見られる。奴隷が奴隷であるのは、自らを奴隷と認めない限りであり、そのような境遇においてその人は、自分の頭を撫でる、より上位の存在を優れたものと思おうとする。そうでなければ自らの精神が保てないからだ。

 しかし紫式部は次第にそういう夢から覚めていく。光源氏は因果応報に苦しむようになり、光源氏が死んだ後は、影であった女性の苦しみにスポットがあたっていく。行き場のない女性の苦しみは最後には、浮船というキャラクターによって象徴される。浮船は二人の男と関係を持ってしまい、苦しんで自殺しようとする。しかし死にきれず、横川の僧都に助けられる。浮船は僧都に助けられて出家する。それが作品の終わりにあたっている。

 この構造の中に、紫式部の思想が現れている。ちなみに言えば、今言った、「最初は紫式部は、光源氏をせめて、理想の男性として描こうとした」というのは、私の意見ではない。うろ覚えだが、風巻景次郎の批評だったと思う。私はその批評が正しいと思っているので、ここでその批評を持ち出して、作品の構造を説明したわけだ。

 ※
 さて、このように源氏物語の構造を説明して、私が何を言いたいのか。

 まず、源氏物語における、情念の昇華は非常に見事なものだという事だ。先に言ったように、紫式部は次第に深い諦念に囚われていったのであり、その精神の解放はもはや「宗教」に求めるしかなかった。

 言うまでもなく宗教は、人間という存在に最後に残された彼岸である。紫式部はもはや、現実のどこにも希望を見出す事ができなかった。だから、現実の外部にその助けを求めたのであり、それは浮船が出家し、尼になるというストーリーに現れている。

 補足しておくと、浮船が二人の男と関係を持ったというのは、今のように女性が自分の意見を持つのが禁じられている時代だから、二人の男に言い寄られて、どうしようもなく関係を持ってしまったという事なのだろう。当時の社会において女性は受け身の存在であり、社会的には弱い存在だった。

 それでは「源氏物語」という、日本文学にも稀な、巨大な文学作品を生んだのが何故、社会によって虐げられていた女性の一人である紫式部だったのか。この謎を解くのは、「文学」という概念に依る他ないと私には思われる。

 人間という存在において、苦悩や苦痛といったネガティブなものを、そのままポジティブなものに変換する文学という、矛盾を包含する存在が見えなければこの謎は解けない。そしてこの謎が解けるという事は、ある人々が、全面的に苦痛から解放され自由になる、そのような事が裏表もなく実に素晴らしい事だと、心から言えてしまう、そのような精神には捉えられないものだ。文学というものはそうした精神には宿らない。文学は矛盾を抱く精神に宿る。

 紫式部が抱いていた矛盾は、そのまま当時の社会の矛盾を表している。紫式部は、上流貴族に憧れる。男性が素晴らしいものであって欲しいと願う。しかし現実はそうではない。そこから、彼女の諦念が発するが、その諦念はすぐに消沈するわけではない。彼女は希望を持ち続けようとする。

 現実を厭う精神は宗教に移行する他ない。そこで、当時、流行していた仏教精神が持ち出される事になる。彼岸と此岸が作品の中で接続される。

 私はこんな風に考えている。紫式部という個人の中にあった情念や思考、創作意欲といったもの、つまり、「作者としての紫式部」は、その当時の社会の崩壊を予知するものだった。要するに、私は、彼女は社会の苦痛を全面的に享受し、そこから抜け出ようとする限りにおいて、その精神は「未来」へと運動していたと、そう思いたいのだ。

 もちろん、「未来」を自らの中に持つのは、紫式部一人ではなかった。社会制度の諸矛盾を引き受ける、貴族の女性がそれを自らの中に蔵していた。また、彼女らの学識がそれを文学作品にする事を許した。紫式部は、そうした女性の代表だと言えるだろう。

 社会制度そのものは、その当時を生きる人間には「絶対」のものとして現れる。小林秀雄はこんな事を言っている。「犬は尻尾を振る。何故か。尻尾は犬を振れないからさ」。小林秀雄はその後にこう付け加えている。「この一口話は深刻である」。

 犬とは時代の事だ。尻尾とは個人の事だ。時代は個人を絶対的に規定する。だが、個人は時代をどのようにも規定できない。いかなる苦痛があろうとも、時代を変えられない。

 紫式部という尻尾は、時代という犬を振る事ができなかった。だから時代の方から先に離脱したのである。

 それでは、人に問うが、これは果たして「現実逃避」だったのだろうか? 人がこれを「現実逃避」だと言う時、人々が自分の頭で思考するという現実から逃避しているように、私には思われて仕方ない。「現実逃避は良くない」と人が言う時、彼らはその現実を大きな石塊のようなものとみなして、それについて思考するのを放棄している。世界が作った鋳型に自らを注ぎ入れれば、人は『考える』という重荷から楽になれる。時代に適合する事と、時代を越えようとする事と。どちらが「現実逃避」なのか。事は、数の大小だけでは決められまい。

 荘園制の崩壊、貴族制の衰亡、藤原氏の瓦解といった歴史的事象は当然、歴史的には「集団」的な行為として現れる。集団として運動しなければ、歴史はない。しかし、ごく少数の人間は歴史に先行して、鋭敏に何かに気づいて、人とは違う運動を始める。

 その時、彼の中には、歴史的な未来がほんの刹那、他の人よりも早くやってきたのだが、他人らにはその詳細は理解できない。だから、彼は周囲との懸隔に悩む。ある、言うに言えない感情があって、それはこの世界ではない、どこか違う世界を指している。しかし、その世界が何かとははっきりとは言えない。それはまだやってきていないからだ。

 歴史がやってきた後では、藤原氏の崩壊、貴族制の崩壊を源氏物語は先んじて描いていた、と言う事ができるかもしれない。だが、彼女がそれを描いた時には、それは全く見えなかった。むしろ、藤原氏は栄華を極めていたのであり、「今」はいつまでも続くかに思われた。

 しかしそうした社会構造の裏で密かに苦しんでいる少数の人間がいて、それら少数の人々の中に「未来」は存したのだった。そうした他人に言えないある感情、感覚こそが、歴史を開いていく鍵となっていた。

 そのように「未来」は少数の個性の中に、顕示される事がある。それはどこか遠い所からの呼笛であり、その声に駆られて、彼らは「今」から離脱しようとする。

 社会制度の諸矛盾が、当時の中流貴族の女性の苦しみとして現れた事は、どのような才能にとってもコントロールできない必然的な事であった。紫式部はそれを知りつつも、その内部の苦しみを深化し、あのような大部の作品を作り上げた。彼女の中では「未来」と「今」とが激しい葛藤を起こしていた。「未来」とは、多くの人が諸手を上げて、歓喜の中でやってくるようなものであるとは私には思われない。むしろ、少数の、他人から見れば何をしているかわからない、何を考えているかわからない、心という名のある暗い部位に宿るものであるように思われる。

 時間というものは、他に対して一瞬だけ早くごく少数の選ばれた(選ばれなかった)人間にやってくるのだが、それを大きな形にしていくのはまた、大きな努力と、才能、幸運が必要となる。おそらく、歴史の中には無名の、人知れず、葛藤を抱えて、それを芸術作品とか、政治的行為のような外的なものに結晶できずに消えていった人物が沢山いただろう。そうした人達の存在を我々はどうあっても知る事はできないが、我々は源氏物語のような作品を通じて、そうした魂が歴史の中に眠っている事を想起して、それらが鎮魂されるのを祈る事はできるだろう。

 源氏物語は世界に対する大きな嘆息としての作品だが、それは紫式部という一人の個人のものである共に、彼女が自分の苦しみを深化させて、作品という形で表出した故に、歴史的な存在として見られるものとなった。「未来」は彼女の中に、他よりも一瞬早くやってきており、ほんの一瞬の先の「未来」と「今」とが激しく葛藤する事によって、大きなエネルギーが生まれ、巨大な作品となった。

 しかし、紫式部本人がまわりを見渡した時、世界は完全に閉ざさており、どこにも出口がないかに思えた。彼女はその出口がないという観念を誰よりも深く突き詰めた故に、ただ歴史の中に自分の同胞を求めるしかない、そのような場所に立たされたのだ。紫式部の中に、未来は一足早くやってきていたが、彼女のまわりは空漠たる「今」、閉ざされた貴族制度だけが存在していたのだが、彼女はその「今」を越えようとしたが為に、おそらくは人には理解できない境地へと旅立つのを余儀なくされたのだった。

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