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山田組文芸誌
2022年8月31日 15:35
灯りの落ちた客席の椅子から、思わず腰を浮かしそうになった。大画面に繰り広げられている仮想現実と、シートに座っている現実。あちらとこちら。私は徐々に、その境目を見失いつつあった。 肘掛けをつかんだ右手の上に、あたたかく柔らかな手がふわりと添えられた。ほっとゆるんだ次の瞬間、「突撃!」という、声にならぬ絶叫が、シアターに轟いた。銀幕に映し出される戦闘場面。息を飲む。かろうじて立つのは控えた、と言
2022年9月2日 13:31
『十二年越しの伏線回収』 千秋 明帆 隣で動く気配がしても、前を見つめつづけた。 白黒しかない画面の中で浮かび上がるThe Endの文字と共に右側だけ沈み込むソファーも、薄暗い部屋に落ちる衣擦れの音も、左頬を照らした蛍光灯の眩しさも、何もかもを無視して前だけを見つめる。「じゃあね。」 静かな声は、肩をひと撫でして去っていった。 エンドロールすら無い、余韻に満ちた物語の終わり。止
2022年9月8日 08:50
ドリーム座の休日 高平 九 夢見橋の石の欄干にもたれて川の流れを見ていた。昨夜の大雨のせいでいつもよりずっと水面が近く見える。寛之は濁った水の勢いに焦りのようなものを感じて川の終点である港の方角に目を移したが灰色の空以外には何も見えなかった。 午前七時。雲が空を覆っているので今はそれほど暑くはない。予報では昼にはまた晴れるそうだ。寛之はショルダーバッグからペットボトルを取り出しマスクを顎に