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12時30分までにピッチに雪がないことを条件とする

雪の降らない地域に住んでいた僕にはそもそも雪にまつわるエトセトラが少ないのだが、数少ない雪の日だからやはりその1日1日をエピソードとして覚えておけるのだろう。記憶をたどる時、日常にあるイレギュラーで人生を長く振り返ることができる。

サッカーの地区部長を任されている僕は、地区の大会の日程や会場、審判の派遣依頼を協会と協力して行なっている。先週1回戦を行い、今日がその準決勝、決勝である。

朝7時、グラウンドはこんな感じである。

前日に強く降った雪はピッチを覆った。雪が少しでも残っていると、規定上使用ができない。延期にすればよいのだが、他のチームのスケジュールもありリスケは難しく、最悪の場合大会中止の可能性もある。

ここはうちのホームグラウンドである。学校の裏にある市営のグラウンドなのだが、特別に無料で貸していただいている。公立の中体連にしては恵まれた環境である。

仲良しの管理人さん曰く、雪の日は人工芝を傷つけないようなるべく自然に溶かし、人の手は施さないようにしているそうだ。しかし、まだキックオフまでは6時間ある。僕はとりあえず車を横付けし、優雅にコーヒーを飲む。

8時。まだ余裕がある。管理人さんにもらったみかんを食べる。少しすっぱい。

「もうすぐ溶け始めると思うよ、それにしても先生も大変だ」

「余裕っす」

9時。まるで溶ける様子がない。富士山が綺麗だ。が、毎日見慣れた富士山よりもずっと緑のピッチが見たいのだ。

「先生、溶けないね。待つのは構わないけど、雪があったら許可はできねぇなぁ」

「余裕っす、もうすぐ溶けます」

10時過ぎには実施の判断をする必要がある。

10時。完全に詰んだ。全然溶けない。

「先生あきらめなぁ、いつでも貸すからさ」

「これいつまで待てます?」

「別に俺らはいつまで待っても構わねぇけど、試合考えると12時30分までにピッチに雪がないことが条件かなぁ」

「12時30分にピッチに雪がなければいいんですね?」

「まぁね」

「雪掻き、いいですか?」

「雪掻きはしないことにしてるんだけど、どうしても試合やりてぇのか?」

「なんとしても」

「スコップは使えますか?」

「1人でやるのかい?」

「やります」

12時30分までにピッチに雪がないことを条件とする

11時、キックオフ。本来22人で使う105m×68mを1人で攻める。

前半15分、大外のレーンを駆け上がる。はじめこそ調子良く掻いていけたが、腰の痛みと4時起きの眠気でハーフスペースの攻略に時間がかかる。

すると苦戦を強いられあきらめかけた僕を助けるように急にピッチの気温が上がり始めた。

雪掻きとセットでみるみるうちに溶け始めたのだ。ここで救援を頼んだ子ども達も到着し、皆で緑色のピッチを目指した。

12時、勝利がもう確信に変わった。

12時30分、完全勝利である。

僕ら教員は誰のために働くのか

「たまげたもんだ、先生の熱意が雪を溶かしたんだ」

「ご無理言ってごめんなさい、でも中止にしちゃったらもう次できない可能性があって」

「朝早くから夕方までここにいてもボランティアなんだろ?」

「まぁ無料ってことはないですけど、時給換算したら凄いことになりますね笑」

「それで先生ってのは楽しいのかい?」

1人で雪を掻いている数時間はもっと虚しいのかなと思っていたのだけれど、意外と充実していた。ひとり時間は内省が進む。

外から見たら大してお金にもならない部活のために、ひとりピッチの雪を掻く。それでいて貰えるお金は雀の涙ほどときたら、そりゃ教員はブラックだと言われてしまっても仕方ない。

雪を掻きながら考えたことがある。

「今自分は誰のために働いてるんだろう?」

子どものため、それはそうなんだろう。間違いない。僕は子どもが人よりだいぶ好きだ。保護者のため、それもあるかもしれない。子どもを預けてもらった責任感みたいなものもある。地域のため、これはまだ自分の中では弱いか。手の届く範囲の人にしか思いが回らなかった。お金のため、生きるに必要だけどあんまり気にしたことはなかった。たくさん稼ぎたいなら今、雪よりも重いものを持つ必要がある。

「自分のため…自分のため?」

あんまり考えたことがなかったけれど、目の前の雪が消えていくようにスーッと自分の中にあった疑問が氷解した。

多分、僕が教員として働くのは自分のためだ。

聞かれればかっこつけて子どものためと言うけれど、本当は自分のために働いている。子どもを笑顔にしたいからと言うけれど、本当はそれを見た自分が笑っていたいから働いている。自分の24時間を一緒にいい時間を過ごしたいから働いている。これは子どものためじゃない、自分のためだ。

多くの先生は嘘つきだとも思う。子どもの前ではツンケンしてる人も、職員室では嬉しそうに子どもの話をしている。

もちろん働くのはお金のため、生活のためで間違っていない。そこは僕だってさすがに根底にある。働く理由はそれしかないって人もいる。僕よりもっと人間ができている人は、自分はいいから子どもが幸せになってくれさえすればそれでという人もいる。どれも間違ってない。

それでもやっぱり、この仕事をおもしろがってやれる人には子どもが好きで、それ見て笑ってられる人が多いなと思う。

そんな願いをもって教壇に立った先生達が、どうか違うしがらみの中でおもしろさを享受できない今が溶けていきますように。














「それで先生ってのは楽しいのかい?」
「楽しさしかないですね」

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