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初めて教壇に立つ人に僕はどんな声が掛けられただろう

僕は誕生日や何かの節目を記事にしないと発作が起きる病気を患っている。

9年目を終え、明日から10年目を迎える。よくこの仕事を続けてこれたなと思う。そんな今日、何かを残しておきたくて駆け込みで書き始めた。

去年初めて教壇に立つ人に送ったメッセージがバズった。今年1年は承認欲求みたいなものを丹念に減らしてこれた1年だったから、目につきやすいXに流すよりは、丁寧なクリックの上、読みたいと思ってくれる人に読んでもらえるnoteを志そうと思う。

でもワンチャンバズれ。

書ける量が無限だから、寝不足のまま10年目がスタートする可能性もある。まぁそれもまたよし、想いは冷めると急に言葉にならなくなるから。

今年1年間子ども達に言い続けたことがある。

「長い話をするやつ、オチのない話をするやつ、自分の話をするやつは仕事ができない大人だよ」と。

それではまず僕の初任の頃の話を15分ほど話そうと思う。

4月1日、前日までの学生生活というぬるま湯から一気に社会という極寒の海に投げ込まれた僕は、職員会議で聞いたことない言葉を話す分掌長の先生達に対して、聞いたことない言葉で反論している先生達を見てこう思った。「聞いたことない言葉だ」って。その後、僕の指導教官の先生が持ち前の面倒見の良さと情熱で勤務時間が終わった後も長いこと''補講''をしてくださったのを覚えている。聞いたことのない言葉を、聞いたことのないやさしい言葉に直して教えてくれた。22時まで掛かった補講を終えて帰りの車でこう思った。「聞いたことない言葉だった」って。

指導教官はちょうど10個上の同じ陸上部を見る先生で、やさしいんだか厳しいんだかよくわからないけれど、とにかく色んなことが見える人だった。初めてやった授業の後、みんながいる職員室の真ん中で「何がしたいかわからねぇ」とブチ切れられて以降、授業を見られる毎週火曜日の4時間目が嫌で嫌で仕方なく、事後研修のある5時間目を待つ給食はいつも味がしなかった。

朝の6時30分から公園で朝練をやると言い出すものだから3年間毎日早起きだった。夜も遅くまで授業の話をした。長い休みもオフは少なく、しまいには同じサッカー人だから休みの日もサッカーをしたりとずっと一緒にいる人だった。

互いに異動した後も僕が大きな授業をする度に観に来てくれて、僕が気づかないようなフィードバックをくれた。でも最後には「すごいよ、勉強になった」と言ってくれる人だった。

僕はこの人のおかげで今もこうしてこの仕事を、保健体育をおもしろがっていられると思っている。またいつか一緒に働きたい夢もある。今もずっと変わらず尊敬する人に出逢えた1年目、みんなにもそんな出逢いがありますように。

僕が指導教官になった話

8年目の去年、僕の分掌に初任研指導がついた。指導教官である。

初任者の男の子と僕にはちょっと不思議な縁があった。

彼は僕の弟の高校のサッカー部の後輩で、弟のサッカーを毎試合観に行っていた僕と彼の出逢いは高校1年生の時にさかのぼる。

そこから弟を追って同じ大学に入学した彼は、早くから教員になりたいんだと現役で教員をしている僕に連絡をくれることがあった。教採の話や授業の話、「いつか一緒に働くのが夢なんです」なんて言ってくれるやつだった。

ちなみに僕が弟の大学のレポートを書いていた時があって、弟はレポートを後輩に回していたから単位まで僕が取らせていた可能性がある。

そんな彼が初任で配属されるタイミングで僕が今の学校に異動した縁がある。

「いきなり夢が叶いました」彼にとっての夢は僕にとっても嬉しいものだった。

だからだ。

僕が何もわからず不安で仕方のなかった初任の時に、そばにいてほしかった先生の姿はどんな姿か?ほしかったアドバイスは何か?許してほしかったチャレンジは何か?誰がやってもおもしろい保健体育を、もっとおもしろくするために僕は彼に何を伝えようか?

そんなことを考えながら過ごした1年間のレポート(授業研の時に毎回送っていたもの)が残っていたから紹介したい。

長いからここは読まなくてもいいけど。

〇〇先生1回目「オリエンテーション」
「1時間の中で何か①来て良かったな、②楽しかったな、③おもしろかったなと思えることがある」といいですね。
⇨生涯に渡って豊かなスポーツライフを実現することにつながっていく。

その目的を達成することができるのなら、正直何をしたって良いとすら思ってます。極端なこと言うと体育的な力を身に付けることができるのなら、eスポーツだって良いと思ってます。…となった時に授業で何をするか?のHow to は①②③を含んでいてほしい。
長い間、世界中で愛されたスポーツはそのスポーツが持つ特性だけでもう①②③を含んでいるよね、でも例えば集団行動とか、持久走とか、保健とか、一見おもんないなーって思うものも、今日の1回目のオリエンテーションすら例外はないんだと思います。もしそこに①②③のどれも含まれていないのであれば、それは僕らの怠慢だと思っていい。
目的を外さなければ何やってもいいよねって話。迷ったらそこに立ち戻ればいいの。
あとは、授業の上手な人のもつ雰囲気(表情や声色、テンポ感や間)は教科問わず見つけて来れるといいよ。だから色んな人の授業を見に行ったらいいよ。
先生の声が基準になるので声とメリハリを大事にできるといいですね。

〇〇先生2回目「御中体操・ソーラン節」
女子の初めのあいさつが小さいのは周りの目が気になるみたいなこの時期の特性だから人間関係(横のつながり)がしっかりしてくると大きくなってくると思うんだけど、そこを特性だからよしとしてしまわないことが大事。例えばたまに女子列を前にしてみたりね。でも声の大きさ、威勢の良さだけを''一生懸命さ''と捉えてしまわないことも大事。反応の悪さや声の小ささに不安になるけれど、これも時期的な問題。例えば声小さかったけど、女子は◯中体操ピカイチ良かったと思うしね。
新体力テストの上体起こしに似たTR。TRの強度を上げるための原則はそこに競争性があることだから、良かったと思います。ただ、ルーティンと化してしまうと惰性が生まれるので同じ目的でもメニューを変えたり、インセンティブを与えてみたり、毎回楽しみながら強度を保っていけるといいね。やらされてる感なく「いつの間にか回数できるようになってました」が理想かな。
伝えるべきことをハッキリとした声で伝えられるようになったから指示が通りやすくなったと思います。
授業以外にも一緒に過ごしてきた時間の長さが少しずつお互いの緊張感みたいなものを無くしてくれたんだと、良い関係を感じたかな。ここからの関係性で注意しなければいけないのは、関係の近さから情が移ってしまって「これぐらいでいいや」の緩さを許してしまわないこと。お互いに気をつけましょう!
フィードバックは適切なタイミングで行うことができていたと思います。そのスピーチの質はこれからもお互い磨いていきましょう!「こいつの言うことは聞きたいな」と思えば自然と身体も顔もこちらを向くようになると思います。

〇〇先生3回目「立ち幅跳び」
目的が「立ち幅跳びで前回より良い記録を出す」にある時に、ジャンプ力を上げる、タイミングを合わせる、前に出るイメージ、目標を決めるは全部アプローチとして正しくて、パフォーマンスは複雑な構成要素から成っている分、できるだけ多くを身に付けられるのが良いと考えているんだけど、それだとこちら側の指導の焦点がブレる&子ども達の学びがブレる…という意味では「腕の振り方」にフォーカスして授業を構成するのは考え方としては正しいと思います。
アップの中で行っていた「○歩以内でラインを超える」という制約のあるトレーニングは結果的に腕が振れるようになるという意味で良いトレーニングでした。僕も好きでよくハードルの単元の時に歩数の制約を掛けます。結果的にストライドが広がってアプローチのスピードが上がります。これ何が良かったかと言うと、スポーツコーチングの世界で流行りの「制約主導型アプローチ」になってることです。
あぁしろこうしろ、腕の角度はこうで、振るタイミングはこうだみたいな伝統的コーチングと制約だけ設けてあとは自由にやって下さいの制約主導型アプローチを比較した時に一定期間をおけば身に付けられるスキルの質も量も制約主導型の方が上だということがわかり始めたらしいです。
制約だけ設けてあとは好きに探索させた方が自分の骨格や運動のクセに合ったスキルを身に付けやすいらしい(自己組織化と言うんだけれど)
となった時にちょっとポイントの説明が多いような気がしました。どうしても理論で押したくなる、僕らが感覚としてもっているものを取り出して言語化して伝えたくなるんだけど、そういう時に世間一般に言われる「考える力を奪う」とかではなくて、きっと頭で考えて知識でなんとかしようとするにはちと情報量が多くて処理できないって感じになってしまうかなと思います。

〇〇先生4回目「鬼ごっこ、シャトルラン」
雨が降ってしまった時や急遽予定していたことができなかった時にどれだけのアクティビティ、トレーニングをもっておけるかが良い教師、指導者の条件の1つだと思います。
今回はしっぽとり、シャトルランでしたが子どもが一生懸命に取り組む姿が見られて良かったです。僕は正直、そこにねらいがあって目的に迫ることができれば何をやっても良いと思っているので、誰かの言う''体育の授業はこうあるべき''に捉われることなく自由な発想でやっていっていいと思います。
今回のアドバイスはグリッドサイズと負荷量、出したい現象の話です。はじめのしっぽ取りはサイズを広げればもっと加減速、ストップ動作、方向転換が現象として現れるため複雑性、負荷量が上がります。ねらいたい現象を出すためのグリッドサイズを臨機応変に変えられるのもまた良い教師の条件です。
シャトルランリレーはおもしろいので僕もよくやります。終わった後の達成感が良いですよね。途中子ども達の負荷量を考えて20mから15mに変えた負荷調整ももちろん良いですが、そのままチャレンジしたかった生徒もいるはずなので20mごとの交代で常にフレッシュな状態でスプリントできる、または100回からのスタートでも良いと思います。そこもどこにねらいがあるかです。
お疲れ様でした。

〇〇先生5回目「がんの予防」
僕が思いつきで考えたことを形にしてくれてありがとうございました。テストのための学習をするのであれば教科書の語句の意味を説明すれば良いですが、保健分野の目標を達成するのであれば、使えるものは全部使って生きた知識を獲得することが大事です。そう考えたら授業の構成そのものは良かったと思います。
先生の方で「がんになる仕組み」「がんにならないためにできること」は必ず調べることを指定して始めました。学びが広がりすぎないために、見る視点、考える視点を絞ることは保健においても体育においても大切です。そういう意味では良かったと思います。
調べ学習の時間は絵を描いて細胞分裂をまとめる子、自分の言葉でわかりやすく要約する子、そういう力がこれから生きていく上で大事だよなと思いました。それぞれまとめ方に工夫があって良かったです。
発表時はアップデート図れそうな気がします。今回は「がんになる仕組み」「がんにならないためにできること」を指定した学習だったのでどうしても発表が寄ってくるのは仕方がなかったと思います。「自分達が調べたこと」だから、聞いてるけど、聴いてはいなかったかもしれない。それぞれが調べるテーマが違ったら、それぞれの教え合いが生まれたかもしれません。
あとは「塩辛い食事がダメ」「適度な運動が大事」「そもそもなんでがんはなぜ増えているの?」はなぜ?まで掘っていきたいですね。コピペでも知識は得られますが、深まりはないかもしれません。
「早く発見するためにはどうするの?」
「どんな種類があるの?」
「世界的に見てもがんは増えてるの?」
「子どもがんになるの?」
「がんはどのぐらいの死亡率なの?」
「がんになるといくらぐらい掛かるの?」
「なぜ食事でがんになりやすさは決まるの?」
などを洗い出してみて、それぞれ調べて提出でもいいかもしれないですね。

〇〇先生6回目「バスケ」
最後のゲームでどんな現象を出したいかがその授業の目的になります。はじめ「シュート回数を増やすことで、シュートを決めることができる」というこの授業の目標を見た時には、あまりに飛躍しすぎていないか?と思いました。というのはシュートが決まるためには、できるだけフリー(1-0)の状態を作るというシュート前の過程が大事になるからです。ただ、最後のゲームのようフリーゾーンという制約を設けて、1-0の状態が予めできている上ではシュートが決まるためのハードル(ディフェンスを外す、スペースメイク等)を全て取り除くことができているので確かに「シュート回数が増える(たくさんエリアに入る)=シュートが決まる」になりやすいですね。そこのエリアに入ればフリーでシュートできるというインセンティブが得られるので、必然的にゴールに向かうボール、人が増えたのは良い現象でした。
ただ今日のような制約が掛かった状態で「シュートが決まることがおもしろい」を全員が抱くかは疑問です。「シュートが決まることがおもしろい」は僕ら教員はみんなが考えることで、シュートが増える状態を作ろうという側面だけを考えてそこで思考停止してしまうのは危険で子どもの多くは「(ディフェンスを突破した上で)シュートが決まることがおもしろい」 のニュアンスを持っている可能性があります。そのため、制約がゲームの難易度を極端に下げてしまわないかがポイントです。
そういう意味で「ずっとそこにいるのはやめましょう」という◯◯くんの発言は良い現れでした。そこで「スペースに10秒しかいられない」という制約をすぐに加えられた先生もナイスでした。ディフェンスがいない状況なので男子なんかは5秒で、シュート回数は2回までとかでも良かったかもしれません。
と、考えられる余地がたくさん残されている制約なのでおもしろかったです。難易度は高いですが子ども達が制約、ルールを決められても良かったかもしれません。
となった時に、今日子ども達がはじめにチームで立てた目標と考えた練習がどれだけゲームとリンクしていたかが重要です。となると、ゲームがイメージできていなかったのでどこも乖離があったように感じました。純粋な身体を温める側面での効果はあるかもしれませんが。
でも勉強になりました、おもしろそうなので僕もチャレンジしてみたいです。

〇〇先生7回目「跳び箱」
跳び箱やマットは自分の身体操作性の高さにパフォーマンスが拠るため、そこが高くないと無理のあるフォームから怪我に繋がるのでふざけて行うことを許さない姿勢はこちら側が見せておけるのは大事ですよね。
今日は基本的な開脚跳びの授業でしたが、運動量が確保されていて良かったです。跳び箱はどれだけ「怖さ」と「おもしろさ」のグラデーションをついていけるかが醍醐味なのでこうして何度も回数をこなして怖さを段階的に取り除いていけることは大事ですね。

〇〇先生8回目「ソーラン節」
マーカーの鬼ごっこはアクティビティとして面白いので似たようなものを僕もよくやります(体育館の線を利用して四角でやっちゃいます。6m×6mかな)①ねらいがあって②修正が加えられて(先生のフリーズによる説明やチームでのミーティングなどで)③最終セットが良くなっていれば極端な話何やってもいいかなと思ってます。だから僕らの目も気にすることなく、やりたいことやる2学期にしてください。失敗したら、反省だけしてビール飲んで寝てください。
これから体育祭、文化祭までの中で確実に学級が良くなっていく姿を是非楽しんでください。きっと上手くいかなくて揉めることもあるだろうし、ギクシャクすることもあるだろうけれどその失敗から学ぶことが大事です。失敗させないようにし過ぎると、結果的にしょっぱい感じの距離感のクラスが出来上がってしまうので。1年間の中にある行事はちょうど良いタイミングであるのでそこにある意味を考えながらできると良いと思います。

〇〇先生9回目「三人四脚、百足」
多分サッカーの戦術を伝える、伝えないの問題と似ていて、「子どもに考えさせる」という言葉ばかり一人歩きしてしまうと自分の力量の不足を棚に上げ始める人が出てきます。今日先生が伝えたことは、必要最低限の標準装備なので全然問題ないです。多分「子どもに考えさせる」はもっと上のところにあると思っていて、覚えたことをどう使うか?もっと良くなるために今ある力をどう使うか?に考える力を注ぐと良いと思います。
三人四脚、エッセンシャルは「脚が結ばれている」です。そこが楽しさにあると思うので次回はそこを体験させてあげましょう。僕も3組に伝えます笑
授業の上手さのベースになってくると思いますが、先生は子どもとの関わり方が凄く上手だと思うので(ここ意外とみんな苦労するのよね)自分が思う以上にもっと出てって大丈夫だと思います。意外と出過ぎじゃないものです。先生はきっと崩れるかもしれない脆さみたいなのを抜けたような気がするので(そういえば僕ももう自分のクラスが怖くないです)多分ここから先は何を言っても入っていくと思うので、何を伝えるかにこだわっていきましょう。

〇〇先生10回目「学活 学級会」
小柱1
学校祭に向けての過ごし方や振る舞い方について続けていきたい点と変えていきたい点に分けて考えよう。
【続けていきたい点】
やる気がある
【変えていきたい点】
反応が少ない
誰でも指摘できるタイムマネジメント的な話で言うと、「どこに一番時間を掛けたい?」をまず頭に入れて時間を配分する必要があります。今日で言うと小柱1で実態の把握をして、小柱2で行動目標なりルールを決めてみんなの拠り所となるものを作ろうという狙いが自然かなと思います。そう考えた時に、意見が出ないとどうしても時間を伸ばすことで解決したくなりますが、小柱1はテンポ重視でとにかく喋らせることで全体のリズムを作りたいです。そして余った時間を小柱2に使いたいですね。
Ex.
「2年2組の良い点を教えてください、〇〇さんどうですか?」
「やる時はやる点だと思います」
「どんな時に感じますか?」
みたいな感じで、インタラクトな活動の中でリズムを作りたいです。
意見が流れてしまっていてこれから議論するリソースが残りづらいので、提出箱は便利ですが、見える化また残るような板書が欲しかったかもしれません。
小柱2
後悔のない学校祭に向けて、2-2全員で取り組むことを決めよう。
を通して、具体的な行動目標、決め事、キャッチフレーズなんかを決められると良かったかもしれません。それにはやっぱり時間も必要になってくるので難しいですが、せっかく意見が出てきていので、どこかでまた時間が取れると良いですね。

〇〇先生11回目「柔道」
アップに何を選択するかに授業者の色が出ると思っていて、毎回見ているわけではないですが、いい意味でテキトーに選べるようになってきたのいいなって思います。テキトーっていうのはこれの次はこれをやろう、これは何秒やってっていうきっちりした感じではなく、子どものテンションや飽き具合を見て用意してきたものの長さや回数、そのもののプログラムを選べるようになってきたという意味のテキトーさです。テンポ感の良さみたいなのって、多分授業上手な人がもっていてほしい標準装備みたいなものなので順調に成長していていいなと思います。
受け身も幅広い刺激から量を取れていたので練習機会の確保という意味では良かったと思います。「袈裟固め、横四方固めの掛け方、逃げ方を学ぶ」を目的とする授業の中で「受」の人間からの視点がちゃんと「取」の子ども達に伝えられていたのであれば、習得する方法は色々あれど良い選択ができたんじゃないかと思います。
子どもの様子がちゃんと見える人になってきたこと、自分の考えてきたことに固執せず様子を見て変えられるようになってきてたこと、大きな成長だと思います。「これダルいよなー俺もわかるわ」「なんか張り切ってるやつダサいよな」って思春期の子どもに迎合して一瞬子どもをこっちに向かせることはシンプルに子どもをこっちにつける方法でついやってしまいがちなんですが、恥ずかしくてもなんでも先生がかっこいい、こうありたいという姿を笑われてもなんでも示し続けていった結果が今の子ども達の姿になっているので譲れない部分は迎合しないこと、大事だよなって改めて思いました。そういうの逃げなかかった結果、自分のクラスがやりやすいってなってきたかもしれないね。

〇〇先生12回目「柔道」
全体的に自信をもって(声量、姿勢、所作)できてきていると思います。これはちゃんと先生の中に経験と知識のバランスが良い感じで生まれ始めているんだと思います。順調ですね。
今日は体落としがテーマでしたが、立ち姿勢、膝立ち姿勢、蹲踞姿勢の活動が混在していましたがそうするとエラーの数が増えてこちらの指示系統が増えてしまうのでちょっと大変かなと思うので初めはみんな膝立ち姿勢でエラーをある程度の数に収束させた方が修正が掛けやすいと思います。
あと、動画を見るというのは受け取る側の情報を取る力に依存してしまうので、どんな動画を使うかもセンスだと思います。
今日見ていて、次回見てあげてもらいたい「取」側のエラーは、
エラー1
最初の右足を置く位置が外に逃げすぎる(相手の両足と出した右足で三角形ができるイメージ)
エラー2
2歩目の左足を置く位置が浅いから相手が崩れない(相手に背中が向くぐらい回る)
エラー3
最後の右足の出方が小さい(どうしても足を刈りに行く所作の生徒が多くて、イメージはつっかえ棒のイメージ)
→この3つが崩れる構造だよってのを伝えてあげられるといいと思います。あとは体さばきも大事だけど、吊るという動作にも触れてあげられると良いかなと思います。
「受」は掛けられるイメージはあるから倒れるのが早いなと、そんな感じです。

〇〇先生13回目「ソフトボール」
どのスポーツにおいてもオフェンスとディフェンスの力の均衡が保たれて初めておもしろさとなるので、ソフトボールの初期はどうしても打者に優位性がある(捕球、送球の不安定さ)ことを考えると、守備側に多少インセンティブを与えるルールを加えると良いかもしれません。女子の塁間だと思い切り打ち切らない方が塁に出れる確率が上がるとなると、今はまだ足りない能力の不足をルールで埋め合わせるような工夫があると良いかなと思います(コーンを置いておいてそれを走者がベースにたどり着くより先にタッチすればアウト、捕球して近くの味方に投げ渡す方が先ならアウトとかね)
男子はピッチャーの能力に依存するゲームの構造だったので、最後に子どもたたちが先生に伝えてきたようにピッチャーの在り方を変えることでたくさん打席に立てるゲームになると思います。トスでゲームを進めていくと印象だけど3倍ぐらい回転率が上がるようになってくると思います。
あとケガの防止のために、バッドは投げない、バッターの後ろには立たない、のようないくつかゲームにおけるルールがあると良いかもしれないですね。

〇〇先生14回目「長距離走」
多くの生徒が避けて通りたい長距離走は授業の目的をどこに置くかがポイントだと思います。タイムや体力の向上を目的においてメインに取り組むのであれば、距離を積ませる、苦しいことさせることが一番です。きついトレーニングを積むことができれば、間違いなくタイムは上がります。目標を達成したことで、走るの楽しいなと思う子もいれば、もう走らなくていいのかと安堵する子もいます。長距離走の単元が終わった時に、走ってみようかなと思える気持ちを育むことができるか?ここが大事です。
タイムを上げる、体力をつけることが目標にあるとしても、きついことやってそこを達成するのと、楽しみながら気付いたら達成してましたでは、同じタイムに到達しても子どもの中に残る副次的なものの数や大きさが違います。
きついことやって力を付けさせる授業は誰でもできます。距離と時間をかければいい。でも、楽しみながら(楽しさは先生なりに定義してみてください)力が付いちゃってる授業は相当時間をかけて考えないとできない、体育の授業におもしろくなくてもいい時間はほぼいらないという基準で授業を考えてみてください。自分がやっていること全てが、楽しいと力が付くの両輪になっているか毎時間振り返ってみてください。それがよい先生の条件だと思います!
まったくまとまってないけど、先生の授業を見ながら自分ならどんなランニングゲームを作るか頭の中にあるものを雑にメモしてみました。
(それをきっかけにランニングゲームのnoteを書いた)

〇〇先生15回目「保健」
保健の授業はそれを知ったことによって日常生活のクオリティがどれだけ上がるか?だと思っています。そうなった時にいざという時に、使えるようにするためにはどれだけリアリティをもたせることができるか?が大事です。そうなった時に教科書を読むだけの授業では学んだことにはならない、今日みたいな授業の方がリアリティがありますよね。そういう点ではよい授業です。もっとリアリティをもたすためにはより細かくシチュエーションを設定してあげてやってみるとより使えるものになるかもしれないですね。となると時間が掛かります。どこに一番時間を掛けたいか?大事にしてみてください。

初めて教壇に立つ人に僕はどんな声が掛けられただろう

僕の9年目、彼の2年目は同じ学年、隣のクラスで担任をすることになった。そしてそれぞれが保健体育で生徒を夢中にさせた1年だった。

素敵だなと思うことは僕の真似をしているようで、僕とも違うこと。彼は彼なりにやりたいことをやっている。そしてそれがちゃんと子ども達のためになっていることだ。

卒業式の夜、学年で泊まりに行った熱海のホテルのサウナで2人で長いこと話をしている中で気づいたことがある。

彼は謙虚で素直な人なのに、それに霞まないちゃんとした情熱がある先生だった。自分はこうしたいを常に言える。

そういえば、4月の夜遅くに教室掲示を飾っている時にもふらっとやってきて1時間ぐらい話をした時もそう。彼は自分のこうしたいを。僕は長くて、オチのない自分の話をしたが、彼はいつも聴いてくれた。きっと素直な人はよく伸びる。

初めて教壇に立つ人に僕はどんな声が掛けられただろう

僕にはきっとたいした言葉は掛けられなかったけれど、まとまらなかった言葉の先で彼は自信をもって3年目を迎えようとしているのだから、想いが溢れちゃえばきっとどんな声もちゃんと届くのであろう。

あえて明日から教壇に立つ人に言葉を送るとしたら、「やりたいようにやりなよ」だろうか。きっとみんな先生になりたいと思った人達だから、何かやりたい教育があったことだろうし。

エピローグ

「何がしたいかわからねぇ」あの日、職員室で掛けられた言葉は僕の人生の中で聞いたことのない言葉だった。きっとこれまでの人生でそう思われることはあっても、気を遣われて僕にそんなことを言ってくれる人はいなかった。初めて聞いた言葉にびっくりしたけれど、何かを選択する上で目的を明確にすることは大切だということを忘れていた。ついネットで見つけたおもしろそうなアクティビティに走り、目的を見失っていた矢先に掛けられた聞いたことのない言葉だった。

この話には続きがある。放課後、職員室の後ろの共有パソコンで落ち込んで仕事をしていると指導教官が心配して来てくれた。「まだ引きずってんのかよ。いいんだよ、やりたいようにやれば」これまで誰かの顔色を伺って、無難に生きてきた僕には誰も掛けてくれたことがない聞いたことのないやさしい言葉だった。

9年間、そのおもしろさを前に辞められずにいるんだからきっと学校はおもしろい。それはきっと10年目にも1年目にもきっと。
















もうすぐ春ですね。

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