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135.親指の使い方2

【サムズアップ】とは

親指を立てるジェスチャー。日本では一般にグッドサインと呼ばれていて「Good」を意味する。

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私も例外なくサムズアップを使う。無意識に使っているので頻度は不明だが、割と多用していると思う。

グッドという意味だけではなく、"ありがとう"に対する"どういたしまして"の代わり、質問に対するポジティブな返事、10m先など多少遠い所にいる人への意思表示などに対し、大丈夫、アイムオーケーという幅広い使い方ができる。

他にも海外のバンドマンとのコミュニケーションにだって使えるし、写真を撮る時など、直立不動では物寂しく、ピースでは過剰という時はとりあえず親指を立てとけば何とかなる。

とても万能なジェスチャーではあるが、不本意な使い方をしてしまう事もある。

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私は駅前に酒を飲みに行く際、よくバスを利用する。

駅に向かうバスは1時間に何本も運行しており、駐車場や帰りの問題など、車で行った場合のアレコレを考えたらバスが一番気楽に済む。だが少しばかり料金に問題がある。

料金が片道280円なのだ。

これは交通機関系のカードを持っていない私にとって非常に手間のかかる金額となっている。

財布を開き、百円玉を2枚確保し、更に十円玉を『(1・・2・・.3・・4・・・)』と8枚も数えなくてはならない。足りていればまだ良いが、7枚目まで数えたのに十円玉をそれしか所持していないと気付いた時のあの感じが疎ましく、バスが停まった時に両替えするのも鬱陶しい。

そういった理由で、私はいつも300円で払っている。釣りの20円はいらない。手間なのだ。

というストーリーが私の中であった上で300円を払っているのだが、運転手はそんな事知る由もなく【支払い金額 280円】と表示されている所に【投入金額 300円】と表示され、そのまま下車するのだから多少の困惑があるのだろう。

『すいませーん!お客さん!お釣り!』

大きな声で何度も引き止められた事がある。

別にお釣りはいらないし、もう下車して歩いてるし、戻って説明したくないし、かといって『釣りはいいっす!』とか大きな声を出したくないので、いつも私は歩きながら運転手の方を見て

伝家の宝刀【サムズアップ】を発動する。

これで全てが伝わる。

『あざーす!』

という声が聞こえてくる。

そしてこのやりとりを何度か繰り返す中で、様々なサムズアップを試した。

①運転手を見て、胸あたりの位置で親指を立てる
②頭あたりの位置で親指を立てる
③少しばかりの笑顔を含ませて親指を立てる
④親指を立てつつ、《大丈夫ですよ》の意味を込めて軽くうなづく

試行錯誤し

●微笑みながら肩あたりの高さで親指を立て、軽く会釈する

という段階まで来た。もう少しで最終系に辿り着きそうな気配がある。

そんなある日の事。

私はいつも通りバスで駅へ向かっていた。だが、料金を投入した際に声をかけてくるかこないかは運転手次第。何も言わない人もいるし、声をかけてくる人もいる。今日はどっちだろうか。そんな事を考えながらバスに揺られる。

そして駅に到着すると、いつも通りお金を投入した。私はそのまま立ち止まる事なく下車して足を進める。さあ、声を掛けられるのか否か。

すると

『すいませーん!お客さーん!すいませーん!』

声が聞こえてきた。どうやら今日も親指の出番のようだ。となると、ここが出しどころ。

私は現段階の最高のサムズアップを発動した。

《微笑みながら肩あたりで親指を立て、軽く会釈》

すると運転手の声が聞こえてきた。

『いやお金足りてないですー!』

『(・・・・・)』

私は親指を折りたたみ、バスへ帰還した。

【投入金額 200円】

と表示されている。なるほど。これは足りていない。私は陳謝し100円を投入した。

【不覚】

そんな言葉が脳裏をよぎる。それから私は冷静になり、この件を運転手目線で考えてみた。

駅に到着する
→巨大な男が運賃を投入する
→投入金額が200円。料金が足りていない
→巨大な男は既に下車し悠然と歩いている
→運賃チョロまかして逃亡?
→巨大な男を呼び止める
→男はこちらを振り向き、笑顔で親指を立てている

運転手『(いや、オッケーじゃねえよ)』

である。

少ない料金を払って笑顔と親指で難を逃れようとしているその姿。ただのサイコ野郎である。私としてもこんな不本意なサムズアップをする事になるとは思わなかった。

さすがにこれではいかん。という事で考えた結果、ついに最終系に辿り着いた。

●最終系
①しっかり投入金額を確認
②下車する前に『お釣りは大丈夫っす』と伝える

サムズアップは使わないという結論に至った。

歴史上の剣豪達は数々の戦いの果てに『無刀』という境地に辿り着くが、きっとこれも同じことなのだろう。

私もついにその境地に辿り着いたかと感慨深い気持ちで胸がいっぱいである。

おわり


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