【図解1898】呼吸を見守ると感じるでは「自分の範囲」が違う
【特殊型】マインドフルネス(健康法としての瞑想)の時、呼吸を「見守る」と意識すると身体に任せた自然な呼吸をできる。
これは「見守る自分」と「呼吸する自分」が擬似的に分かれ、見守る自分は外から見守るだけで呼吸に手出しはしないため。
これに対し呼吸を「感じる」場合、「感じる自分」も「呼吸する自分」も大きなくくりの「自分」の中にあるので、つい呼吸を感じるだけでなくコントロールしようとしてしまう。
マインドフルネスの時は呼吸を「見守る」と、自然な呼吸をしやすくなる。
昨日投稿した下の図解を深掘りしたものです(わかりやすいように多少表現などは変えてあります)。
「マインドフルネスでは呼吸は『見守る』意識のほうが自然に呼吸できる」という大枠は変わらないのですが、今回は「なぜそうなのか?」という部分を中心に深掘りしています。
昨日の時点ではそこまで気づかなかったのですが、要は「自分の範囲」の違いが根底にあったようです。
つまり「呼吸している自分を『コントロールできない他人』として見るか、『コントロールできる自分』としてみるか」ということですね。
もう少し詳しく書くと、下のようになります。
見守る場合:「見守っている自分」から見て「呼吸しているもう一人の自分」は「他人=コントロール外」なので、手出しをしない
感じる場合:「感じる自分」も「呼吸している自分」も「同じ自分=自分のコントロール下」なので、つい呼吸のコントロールをしてしまう
思い返すと、私がマインドフルネスをする時も「体の外にもう一人の自分を作り、それが自分の呼吸を見守っているイメージ」で始めることが多かった気がします。
この「『見守る自分』をイメージしてほどよい距離感をつくる」というのは、マインドフルネスに限らず「コントロールしすぎ」の処方箋としても使えそうなので、日々の生活でも活用していこうと思います。
ことわざ化:自分は自分、他人は他人、もう一人の自分は他の人
●関連リンク
お気持ちだけで充分です😊 もし良ければ、感想をコメントやシェアの形で表現していただけるとうれしいです😉