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【日記】これでもいいのかも!

定期的にパソコンを開かないと、壊れてしまうらしい。
2017年から音楽制作用に使っていた黒いPC(通称:黒パソ)が、うんともすんとも言わなくなった。
困ったもんだ。
しかし、あまり焦ることはない。

実は先日、赤いキーボードを買いまして。
パソコンに繋げなくても音が出る類のキーボード。
写真を撮ってアップロードしたいところだが、そこまでの体力はない。笑

3月が終わり、4月に突入しました。
年度末を終えて、新しい年度が始まりました。

先週の金曜日(3/29)、僕は半休を頂き神戸までライブを観に行きました。
マネージャーのまゆみんに誘ってもらい、彼女の旦那様がドラマーとして参加するライブ。
半地下に位置する、「Halftime」というライブハウスは、デジタル表示のメニューは全表記英語。
壁際に所狭しと並ぶレコードはHip-hopやJazz、またはR&B・・・。
「ああ。ニューヨークに来たみたいだ」
ニューヨークで活動されていたバリトンサックス奏者が主催のライブは、ビッグバンドをギュギュッとした感じの編成で、普段は聴きに行かないような音楽を全身に浴びて、最後の方には踊ってました。

そもそも僕は、歌詞を書くのが好きなんだけれど、インストも大好きです。
難しい理論や技術論はさておき、音のなかに浮遊する感覚が好き。
「フラフラしてみましょか~」
「海に深く潜って浮遊しましょか~」
音がいざなってくれる世界。
プレイヤーが指先や肺から溢れる空気を吹き込み鳴らす、音。

ああ。そうそう。
無条件に踊りたくなる音楽。
これこれ~・・・。

結局、帰宅したのは日付をまたいだあと。
まゆみんと武蔵さんには感謝しかない。

謎のパソコンおじ様と交流を深めた話や、お二人が所属する音楽教室の個性的な先生方についても書き残しておきたかったのだけれど、それはまたの機会に。

土曜日(3/30)
弊社代表の姪っ子ちゃんに電子ピアノを譲った縁で、発表会にお呼びいただきました。
それにしても子供ってマジで完璧。
無自覚総合自己プロデュースのおかげで、何をしてても可愛い。
生意気を言ってても可愛いものだから、手に負えない。
子どもたちの発表会は、恐らく「ピアノを習い始めた順」で構成されていて、ソロ演奏→連弾→ソロ演奏~というように、さまざまな構成で同じ子たちが出てくるプログラムになっていました。

姪っ子ちゃんのお話し。
他の子が、ガチガチに緊張して、途中で演奏を間違い、泣き出したりする中、舞台袖で踊っている影が見えたので「あ。この子は大丈夫だ」と謎の自信が芽生えました。
独特なダンスでウォーミングアップ(?)を済ませた彼女は、堂々とピアノにの前に座り、難なく演奏(初めて半年でもう両手を使っていた!)を終え、サッと舞台裏に引っ込みました。
隣に座っていた代表曰く「仕事だけして帰ったな~」。
確かに、言い得て妙だわ。

無事に大仕事を終えた彼女は、とても清々しい表情でいる、のかと思いきや、自分より年上の子が上手に演奏する姿を真剣に見ては不機嫌になってました。マジで天使。きゃわたん。
6歳でも感じる悔しさ。
とても気持ち分かるよって勝手にシンパシー感じちゃったぜ。

大人になると、「実績」「立場」「状況」に焦点を当てて、勝手に自分と比べては落ち込むことが増えてくる(通称:嫉妬)けれど、子供の時分は目の前で起きていることがほぼすべてなんですよねぇ。たぶん。
「自分よりうまい。悔しい。」
それだけの気持ち、されど侮れない気持ち。
バネにして、羽に変えて、どんどん実力を着けて羽ばたいて欲しいです。

そして、演奏会を見終えた僕は、電車に飛び乗り祖母のお家へ。
おばあちゃんに会いたくなったのね。
祖母特性のお好み焼きをたくさん食べた辺りで母からのLINE。
「明日伊丹のおっちゃんのとこにギター取りに行く」
え?
待ってくれ。

実は先日、伊丹のおっちゃん(母方の祖母の弟:大叔父)が家を整理するため、要らなくなったエレキギターをくれることになっており、いつ取りに行くか悩んでいたところだった。

急遽、母が迎えに来ることになり、僕は伊丹行きのため前乗りして実家へGo!

日曜日(3/31)
祖母の部屋で久方ぶりに就寝した僕。ほんとうに、久しぶり過ぎて全然眠れませんでした。特別な会話もなく、ただ寝る。それだけのことなのに、中々上手に眠れなかったのは、多少の照れもあったのかしら。

さて。
伊丹の大叔父に会いに行くにあたり、近くの伊丹空港付近まで子供(甥姪甥)たちを連れていくことになり、車中は人&子供用品だらけになった。
「ここに帰りエレキとアンプ乗せれんのけ?」状態。
いやあ。それにしても家族揃って出かけるなんてマジで久しぶり。
伊丹の大叔父に会うのも十年以上ぶり。

なのに、いざ着いてみるとグランドピアノがあるではないか・・・?!
元々警察官だった大叔父はリッチマンでもあった。

*持ち家が二つ以上ある人は金持ち認定です。

ギターを即座に積み込み、挨拶もそこそこに、僕はピアノ部屋に籠って一時間以上弾き続けた。
「このピアノは昔からあるけど、こんなにじょうずに弾けたのは喜大君が初めてやな~」と大叔父。
「鍵盤が固いやろ~」とも。
「全然です。むしろ仲良くなれそうです。ってかこんないいピアノあるのに誰も弾かないんですか?信じられへん」と僕。
「買ったきり、孫もそんなうまくなる前に辞めてしまってな~」
「金持ちってそういうとこあるよな!」と僕。
「よっちゃん、こんなにじょうずやったんやねぇ」と祖母がしみじみ。
いつも「あんたぐらいのレベルの人はいっぱいおる」って言うのに。
祖母も丸くなったもんだぜ。

お昼ご飯に呼ばれる頃には、10数曲ほど弾いたあとで、母と父、姉とその子供たちは飛行機を見に出掛けていた。

大叔父とその奥様、そして祖母と僕。
四人だけの奇妙な昼食後、意を決して僕は訊いた。
「おっちゃん、おばあちゃんって若い時どんな人やった?」

その問いを皮切りに、祖母の昔話、明治時代までさかのぼっての一族の変遷、そして大変興味深かったのは大叔父の警察官時代の話だった。
お堅い人物だと勝手に思っていたのに、仕事を楽しみ、面白がり、そして人を愛し、愛された人だったことが分かった。
やはり、人間って分からないもんだ。

「本でも出してよ~おっちゃん(段々馴れ馴れしくなるぐらいには打ち解けた僕)」と言うと、「書きたいんや~めっちゃ書きたいんやぁ。でもなあ。アカンのや~」と返された。
警察官魂はまだ残っているということだ。

先日、奥さんが警察官時代の手帳をごっそり捨てたらしい。
その時、夫婦そろって「ほんまに終わったんやなあ」としみじみ思ったそうな。

世の中が全然落ち着いてくれない。
むしろ、「生きてるだけで試されてる感」がずっと続いている昨今。
「生きるってなんだよ」的な問いが延々繰り返されているように思う。

しかし、どんな時代でも、「今」を面白がり、時には悔しい思いをしながらでも生きることで次に繋げている / 繋げてきた人がたくさんいるのも事実。

どうせなら、勝手に先案じして憂慮して落ち込んじゃうより、僕はそっちの現在を選びたい。


いよいよ四月になりましたわよ。
もろもろ切り替えるなら今がチャンス。

年々「今」という言葉が重くなってきております。

責任だとか、義務だとか、付いて離れないものが増えてきているけれど、それって「大切なもの」が増えていることと似てるなって考えてみたり。

何事も答えはすぐに見つかりそうにない。
だからそこ、生きて答えを探していきたい。

そんな感じで、バイブス高めてやってやろうじゃないの!

これでいいのだ!と言い切れるほど器用ではない。
だからせめて「これでもいいのかも!」って自分に言ってやるぜ。


じゃあね。
制作してきます(笑)


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