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「実家のような安心感」の違和感


「実家のような安心感」

定番ネタやお決まりの展開が来た時、それに対する「待ってました!」を表す一言。恐らくニコニコ動画の「例のアレ」カテゴリ(現在で言う「その他」カテゴリ)での特定界隈や5chの特定版での定型文が流行の発生源といったところでしょう。
どちらにせよ、そんな由来を一切知る由もないユーザーも何気なく使う程度には、ネット界隈で普及した定型文の一つになっているのが、「実家のような安心感」という定型文かと思います。

さてこの定型文、語感も1・1・3拍子と心地よく、たまに使いたくなることもあるのですが、その度になにかが引っかかる感じがしてしまい、実際に使うことはあまりありませんでした。

そして数日前、その感覚に明確な疑問を覚えたため少し考えてみた結果、「そもそも自分は実家よりも今住んでる賃貸のほうが圧倒的に安心感を覚えているから」という結論に至ったわけです。

なぜか。答えは簡潔。
私の実家生活には「プライベート空間」なるものがほぼほぼ存在しなかったから。

「田舎しぐさ+古民家」による負の相乗効果

以前投稿したnoteでもちらっと書いてますが、私の実家は築80年と相当古いです。すなわち「プライバシー」という概念も確立してなかった時代に建てられた家であり、音漏れは当たり前な壁構造でした。
その上、下手に壁を含め改築・改装することは難しかったようでした。(丸々古民家再生か新築にしたほうが色々楽とのこと)
中学校に進学する際、それまで家族の寝室だった広めの和室が中学生からの自室に割り当てられましたが、そもそもその部屋は扉は引き戸、鍵はなし、扉の間には普通に隙間がある、そんな部屋でした。まぁ、プライバシーないですね。

まぁ正直この条件だけなら、現在でも該当する人は沢山いるでしょう。
その上で「実家のほうが安心!」ってなる人も多分沢山いるかと思います。

しかし、私のケースではもう一つここにある要素が加わります。
「常に他人(特に母親)の目が飛んでくる空間」だったことです。

前述の通り、壁が薄く防音の概念なんざ無い家のため、音はほぼ筒抜け。そのため、気になる様な音を立てればつぶさに反応が返って来るような環境でした。加えて、自室に居る時は部屋の扉を全開にしていないと「やましいことしとるんか」と親から罵られる謎のルールが。今となってみれば、本当に意味不明ですね……

さて、よく聞く田舎暮らしの特徴に「近所付き合いが盛ん、人間関係が密接」というものがありますが、これのオブラートを剥がした姿は「相互監視・即拡散社会」です。我が家の場合、そんな「田舎しぐさ」が親子間でも強烈に適応されていたわけです。
ちなみに私の母はそういう「田舎しぐさ」が少し嫌だと愚痴ることがあったのですが、当の本人が子供に対して常時超絶バリッバリにしてしまっているのは、なにかの冗談かな?と眉間にシワを寄せた記憶があります。あたかも私は違うと語る母を前に「それマジで言ってる?鏡見たことある?」と口に出さなかった私はえらかったと思う。

そんなこんなでトイレや風呂以外にプライバシーは皆無な家庭環境の中、親が帰宅してからは常に神経を張り詰めながら日々を過ごしていくうちに、「個人的な趣味を楽しんだりや心身ともにリラックス状態になれる時間」は、いつしか「親が居ないor親が寝ている時間」となっていました。

となれば、当然生活リズムは夜型に偏ります。なんせ親が居ない時間帯、通常なら学校帰りからの数時間、TVをつけてアニメを見ながらダラダラするのがある種の定番ですが、娯楽絶滅地域の富山では夕方にTVアニメがほぼ放送されていないのです。

ドラえもん、アンパンマン、平日夕方の再放送枠1種、そしてNHK・教育テレビ枠。これらが「富山で夕方~ゴールデンタイム前に放送されるアニメのほぼ全て」です。おそらく今でも大きくは変わっていないでしょう。
一応BS11では1週間遅れだったり、ゴールデンタイムに入ればコナンの前枠、深夜だとP.A.WORKSの新作など、わずかながらに時流のアニメを見ることは出来るわけですが、それでも総数からすれば極々一部でした。

それ以上に、家族の共用PCが実質自分用のPCとして利用出来る環境だったこともあり、親が寝静まった夜に、ニコニコ動画やニコニコ生放送などのネットコンテンツを楽しむことが数少ない気楽な娯楽となっていました。

そんな18年間を過ごし大学進学を期に上京する頃には、立派なネットオタクとして趣味嗜好が形成されていました。まぁ避けられなかった運命だったと思います。

上京で手にした「プライベート」

今だから言えることですが、現役高校生の時に東京の大学を選んだ理由は「とにかく親の監視下・行動圏内から離れたい」という感情が圧倒的に主でした。
「その大学で勉学に励みたい」という目的はほぼ無く、良くある「娯楽や流行の最先端に触れて過ごしたい」という感情も、先の理由の前では霞む程。それほどに当時の自分にとって大学進学は「プライベートを得るための手段」でしか無かった記憶があります。

なんせ下宿先となった寮は、最低限の家具しか無いですが扉は鍵付き、自室にいれば他人の視線とは無縁な環境。狭くともちゃんとプライベートが保証された空間。世間を知らぬ高校生のガキンチョには求めていたオアシスみたいなものが、そこにはありました。
まぁ蓋を開ければ、話が合わない人間との共同生活、代わり映えのない微妙な食堂飯、廊下から普通に聞こえる他人の足音や声、30人で1本の回線を共有し合う激弱ネット回線など、実家で形成された夜行性陰キャネットオタクスタイルとはかなり噛み合わない環境ではあったのですが。

しかし、そんな環境であってもプライバシー面は「実家に比べりゃツーランク上な生活環境」です。ワンランクじゃないです。ツーランクです。ストレス無く自分のペースで作業や課題をこなし、合間の息抜きをしても何も言われない。たったそれだけのことですが、シンプルに自分のモチベーションが上がっていたこともまた事実でした。

そして今年の3月。4年過ごした寮を離れ、賃貸マンションに引っ越したことで完全なプライベート空間を手にし、今に至ります。
開通まで3ヶ月掛かったとはいえ、戸建て用のNuro光を通せた自室。その日の気分で好きなもの、作りたいものを作れる自炊生活。友人との外食も食堂費を理由に断る必要ももうないのです。
引っ越してから1週間は、人の気配の無さがこんなにも安息をもたらすのかと感動していた覚えがあります。

さいごに

幼少期から求めていたストレスの無い環境に今はこの身を置いているんです、そりゃ実家よりも遥かに安心感あるわけですよ。

そう思うと同時に、この定型文が使われているということは「実家は安心できる場所」という考えは共通認識でありマジョリティであると訴えてくるような気がしてくるのは気のせいなのでしょうか。

もしあなたには「安心できる実家」というものがあるのなら、それを大事にしてほしいなと思います。そうでないなら、とっとと逃げて自分の人生を歩んでもらいたい。

置かれた場所で咲くな。その言葉は自分に言い聞かせるものであり、他人が言ったらただの呪詛。貴方の咲きたい場所があるなら、その根っこブチ抜いてそこに咲きにいけ。そう思う次第です。

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