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小室とKEIKOに思うこと

(ここに書いてあることは、全くの私見で、誰かに聞いたわけでも芸能ニュースから取ったものでもありません。ファンの方、気を悪くしたらすみません。)

先日、小室哲哉とKEIKOが離婚した。
病気になった妻と献身的に支えている夫、というのが長年のイメージであったと思うが、ここ数年は不倫やら別居やら(あと小室の詐欺事件)という報道もあった。でも私は、まぁそんなことも経て末永く連れ添っていくのかななんて思っていた。
が、違った。

別に知り合いでも何でもないので、ああそうなんだぐらいの気持ちであるが、他の芸能人よりも何となく残念に思うのには理由がある。20年近く前、テレビ中継されていた彼らの結婚披露宴で見たKEIKOの表情から、私はあることを感じていたからだ。

私は、どストライクの小室ファミリー世代である。小学校高学年から中学生という超多感な時期に、安室奈美恵を筆頭に、TRFやglobe、華原朋美などがヒットチャートを牽引していて、学校の友達との話題はそれらを占め、カラオケでもよく歌っていた。

globe三人

当時、小室は自分の恋人であった朋ちゃん(華原朋美)をデビューさせて、朋ちゃんが出て歌う番組には必ず隣でキーボードを奏でていたのだが、それが女性にとってどれだけ夢みたいな話なのか、そんなことも分からないほど、私は子供だった。

いつの間にか二人は破局し(そして朋ちゃんは何か違う方向に行ってしまい)、その数年後、小室の全盛期が若干過ぎた頃に、小室はdos(およびKiss Destination)のASAMIとできちゃった結婚をした(小室にとって2回目の結婚)。ASAMIは先述の安室ちゃん等の面々に比べれば存在感は少し劣っていたので、私はこのニュースを聞いたとき「え、なんでASAMI?付き合ってたんだー」と少し驚いたと思う。
だが、ASAMIとの結婚生活はわずか10カ月で終わる。

そして小室は、ASAMIとの離婚から8か月後にglobe のKEIKOと3回目の結婚をする。その結婚に関しても私は驚いたように思う。「え、KEIKOといきなりそんな仲になったのかな?」と。

私はそれまで恋愛というものは「ブツ切り」だと思い込んでいた。
当時高校生だった私は、女子校に通っていて、恋人ができたことがなかった。他校の男子と遊ぶタイプでもなく、デートというものをしたことがなかった。だから恋愛に関する知識は、マンガや雑誌に書かれているようなことが全てで、彼氏のいる友達の話を聞いてはいたものの、男女の関係というものは、どちらかが好きになり、告白をし、付き合うことになり、楽しい時間を過ごし、どちらかが別れを告げ、その関係が終わる。どちらかに未練があるのかもしれないが、関係そのものはそこで終わる。そしてまた新しい人を見つけて告白をして…というふうに順番に沿って進行していくものと、そういう意味でブツ切りなんだと至極当然に思っていた。

小室とKEIKOの結婚披露宴はテレビ中継された。
まず驚いたのは、結婚式や披露宴こそ、かしこまった場、華やかさと落ち着きを見せる場であるはずが、何と二人はそろって金髪で出てきたことだった。
今までのステージでさんざん派手な格好をしてきた二人だから、こういう時は伝統に倣って、和風にもしくはシックに決めたりするのかなと思っていたのだが、全然違った。
こんな場でも金髪を選ぶ二人の、破天荒というかやっぱり普通の人と違うところ、これこそがアーティストなんだなぁ、なんてことをぼんやりと考えていた気がする。
それよりも、小室は3回目の結婚なのに、しかもその年に子どもを置いて離婚しているのに、披露宴をテレビで流すなんて、お金があって遊び慣れている男性の振る舞いって何か怖いとも感じていた。と同時にそれほどKEIKOを大事に思っているんだろうなとも思った。

指輪

披露宴の終盤、クライマックスに、二人はglobeの代表曲である「DEPARTURES」を披露した。この「DEPARTURES」の歌詞やメロディーは、明るくハッピー!ではなく、相手を想う気持ちが哀愁的に表現されている曲で、この曲を歌う時のKEIKOの表情はいつも何とも言えないようなものだった。
それはこの披露宴でも変わらず、目を潤ませ、口唇を震わせていたのだが、自身の結婚披露宴ということで、熱はいつもより入っていただろう。
私はこの時のKEIKOの表情から、あることに気づいた。

この人は待っていたんだ、と。

具体的にいつ関係が始まったのかは知らないが、少なくとも小室が2回目の結婚をした時にはすでに関係はあったのだろう、と唐突に気づいた。「待ってる」「待っててほしい」というような話し合いをして、KEIKOは待つことになったんだ、と。
そして長い時を経て(そう長くはないのだが当人同士には長い)、やっと本日関係者やファンの皆様にお伝えできます…!といった具合で今この上ない幸せを感じている、のだと。
だってそんな表情だったから。

この日、私は自身が持っていた「恋愛関係はブツ切り」という考えは全くの勘違いであると気づいた。ブツ切りなんかじゃなく、そこには「糊しろ」があるんだということが、何となくでも分かってしまった。

そして同時に怖くなった。
KEIKOのような大人の女性の忍耐というものが垣間見えたから。大人になるって、恋愛をするって、怖いと思った。 
それほど相手が好きならば、相手の色んな振る舞いにも耐えられるのかもしれないけど、とにかく私にそんなことできるのかと、始まってもいない将来の恋愛を心配してしまった。

今般のこの二人の離婚を残念に思うのは、私がこんなようなことを感じていたからだ。離婚の理由は当人同士にしか分からないことで、その後の結婚生活において、KEIKOだけでなく小室側にだって受け入れられない何かがあったのかもしれないし、どちらか一方だけに非があるものでもないだろう。
しかし少なくともこの披露宴の時のKEIKOには、それまでのとてつもない覚悟とやっと手に入れた最高の幸せ、というものが見えた。

その後、私は大学に進学し、強烈な片想いをしたり、初めて恋人ができたり、ひどいことをした・されたなどと騒いだりして、人並みに恋愛の楽しさや辛さというものを味わった。でもそんなのは、渦中にいる時には分からないものの、どこにでも転がっている、ごく普通の恋愛模様なんだろう。
いつのまにか私は、当時のKEIKOよりも歳上になり、大人という年齢になって久しいが、あの時感じたKEIKO並の、相手を受け入れる力を持った女性になれたのか、それは未だに分からない。

歌うけいこ