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絶対に忘れない席替えの思い出

 小学校から高校までの私の席は、前から2列目まで、と母との約束で決まっていた。3列目より後ろになると、先生の口元が読みづらくなってしまうためである。学年が上がり、担任の先生が変わる毎に、母からそのようにお願いしてくれていた。

 私たちは38人のクラスだったので、机は横に8列、縦に4〜5列。そのうちの前2列を「前の席」と呼んだ。私の他にも、視力が弱い人や授業を真面目に聞きたい人が、すすんで前の席を希望していたので、孤独に感じたことはなかった。

 しかし、小学6年生の時に私は問題を起こす。
当時は反抗期の真っ最中で、いろいろなものに苛立っては、毎日母に当たり散らしていた。そんな時にやってきた席替えのタイミング。
『頼んでないのに前の席ばっかで!』
実際にそう叫んだ訳ではないが、なぜかむしゃくしゃして、前の席を勧めてくれる先生の話も聞かなかった。

 結果、一番後ろの席。最高のくじ運。案の定、何も聞き取れない。

 家に帰るとすぐに、母に愚痴をこぼした。自分が悪いのを棚に上げて、先生に席替えをやり直すように言ってくれないか的なことを言ったのを、はっきりと覚えている。母の答えは、「自分のことは自分でしなさい」だった。
翌日学校に行くと、私は先生にも同じことを言った。ところが先生からは、「あなたが後ろの席を望んだのだから、席替えはやり直しません。特別扱いはしません」と、きっぱりとした返事が返ってきた。

 結局、次の席替えまでの1ヶ月は後ろの席で過ごした。この一件は、自分が障害を持っているということを受け止めるきっかけとなった。
『難聴だと気づかれないくらいの努力はしたい。それでも、時には自分が障がい者であることを自覚して、強がらずに助けを求めなければならないこともある』と意識するようになった。

 20歳になって先生に会いに行った時、「実はあのとき、あなたのお母さんから頼まれていたのよ。あなたが席替えしろって言うかもしれないけれど、聞かなくていいです、って。あなた、そんな話知らないでしょう」と笑いながら話してくれた。当時から先生はかっこいい人だと思ってきたけれど、母は更にその上を越えてきた。母って怖い。

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