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田中泯のドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』を観て、表現について考える

 NetflixやAmazon Video、Diseney+、U-NEXTと、映像作品を観るサービスは充実してきました。当たり前の存在になって、わざわざOTT(Over the Top)という言葉を使わなくなった気がします。自宅でプロジェクターで観るのもよいのですが、やはり映画館での映画鑑賞という体験は捨てがたく、時間を作って足を運ぶようにしています。映画館という暗闇に閉じ込められて、強制的に集中させられるという体験は、自宅でリラックスして観るのとは別ものですね。

 さて、今回は田中泯のドキュメンタリー映画についてです。
 映画「たそがれ清兵衛」で俳優として注目されるようになりましたね、最近の映画「HOKUSAI」で葛飾北斎の晩年を演じたのも素晴らしかったです。圧倒的な存在感を放つ異色の映画俳優というポジションでしょうか。

 田中泯はダンサーです。舞踏というこれ以上のアングラはないというアンダーグラウンドのアートの世界で長年活動してきた田中泯が何を考えて、暮らし、表現してきたのかがよく分かる内容になっています。子供自体の泯を描くアニメーションも詩的で素敵です。 

 僕が特に感銘を受けたシーン・エピソードは3つあります。

 まず、フランスの哲学者、ロジェ・カイヨウの家に押しかけて、踊って、「永遠に、名付けようのない踊りを踊って下さい」と言われたというエピソード。映画のタイトルにもなっています。カイヨウも凄い人だなと思いますが、カイヨウが好きで踊りを見せたいと思った田中泯は、若い頃からインテリジェンスと教養があったんですね。

 もう一つは、演出家としてダンサーの石原淋に対する指示です。ここは「片手が壁の中に入っていく、その感覚を観客と共有するにはもっと間が必要だ」と言っているところ。表現とか才能というのは狂気と紙一重なのだということがよくわかります。そして、その非日常を共有する体験に観客は魅せられるのでしょう。僕もその一人です。

 そして、ラストに近いシーンで、田中泯が福島原発の避難地域の廃屋で見つけた蜘蛛を相手に踊るシーン。ここの説明をするのは無粋すぎるので、映像の中で確認してください。

 犬童一心監督が彼の人生と内面を実に丁寧に描いたドキュメンタリーで、考えさせられることが多かったです。身体表現やアートに興味のある方は必見です。

 蛇足ついでに、音楽プロデューサーでエンターテックとかいっている山口がなんで、アンダーグラウンドアーティストにそんな思い入れあるのか?お前何を知っているのか?という人のための補足。
 僕は、20代の頃に舞台のプロデュースを少しだけやっていた頃に、舞踏家の麿赤兒さんに演出をお願いしたことがあります。今となっては、俳優・大森南朋のお父さんとしてのほうが有名かもしれませんが、大駱駝艦というのは、山海塾と並ぶ、舞踏劇団ですね。今は、静岡県舞台芸術センター(SPAC)の芸術総監督を務めている宮城聰さんのソロパフォーマンスプロジェクト「ミヤギサトシショー」を企画・プロデュースしていました。麿さんにお願いした作品は「ホーキング博士、宇宙を語る」の舞台化という荒唐無稽な企画で、劇作は荒俣宏さんにお願いしました。
 会場は汐留が再開発前の仮施設PITでした。そんなエピソードで、音楽家とポップミュージックを創るだけではなく、狂気と紙一重の才能と向き合って作品を作った経験がありそうなことはご理解いただけるかなと思います(笑)

 今回は「音楽映画」を紹介ということでまとめているマガジンでいうと番外編ぽくなりますが、上野耕路さんの音楽も素晴らしかったです。是非、ご覧になってください!


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