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大丈夫と言われなかったから愛情の基準は布団。

毎度ながらなんのこっちゃか分からんタイトルである。
でもこうとしか言いようがない。

よく周りから「中村さんっていつも幸せそう。」と、よく言われるワタクシ。
有難いことに今、私の生活は穏やかだ。細々と色んな事はあるけれど、家族がいて住む家があってご飯が食べれて。

人様からそう見えているのならそれはそれで有難い限りなのだが、何にもなさそうでも人間五十年やってりゃ何かしらはある訳で。ましてやワタクシは女。五十女の背景なんて寒風吹き荒ぶの荒波一択である。
ああ。津軽海峡冬景色。

……。
………。
…………ごめん。ちょっと言い過ぎた。調子乗りました。

でもまぁ「みんな平気な顔して生きている」ってのは多分に漏れず皆同じ。

あ。「ワタシ、そんなの全然ない。」って真の幸せレディはそれはそれでヨシ!貴女の人生は最高。オールオッケー!羨ましい限り。

そんなこんなで人様から幸せそうと言われるこの私。併せて「さぞ何も問題もなく御両親からも愛情たっぷりに育てられてきたのだろう。」と言われる事も同様にしばしばだ。

しかしながら、どっこいしょ。よっこいょ。ワタクシの実家、親子関係においてやや課題のあるご家庭だったことをチラッと出しておく。

そんなことはまぁ、よくある話(?)だし、大人になった今、まして親になった今だからこそ分かる愛情や事情もある。私としては今やもうどうこう思ったりしてはいない。


***

「お。お姫様が目を覚ました。」

もう古い古い記憶。
幼稚園の頃、真夜中にふと目が覚めた。
二段ベッドの上で寝ていた私はベットの柵越しに父の目を見た。
その言葉を聴き、ふわりとした柔らかい気持ちになり直ぐ私はまた深い眠りについた。

そんな一瞬の記憶。普段の父からは想像も付かない行動と言葉。気まぐれで私達兄弟の寝顔を見に来たのだろうか。ひょっとしたら夢だったのかも知れない。

でもその時の酔った風な口調とお酒の匂い。視界ギリギリに見た心配そうに"もう寝てるから。"と言わんばかりの表情をした母の姿を今でも忘れられない。だからきっと夢ではないと思っている。

父はとても自分中心的で不器用な人だった。
のちにやっぱりと言うか私達姉弟は子供時代、あまり父から愛情を向けられていなかったことを知る。

晩年、孫が生まれその時の事をひどく悔いていた様子ではあったが。ただ父には父の事情があったことをフォローしておく。

話は戻すが、そんな真夜中の幻を忘れられないのは何となく子供ながらにそんな父の愛情の方向について疑問を感じていたからかもしれない。

小学生になると、母から「お布団は起きた時に綺麗に整えなさい。」と、躾けられるようになった。
しかしながら、子供のする事だから綺麗とは言えない片し方。シーツだってグシャグシャだ。
でも夜、ベッドに入る頃には布団はピッと揃えられ、中に潜るとシワひとつないシーツの感触が背中に馴染んだ。

子供ながらにして寝付きが悪く不眠気味だった私はそのシーツに心地良く身体を預け、羊を数えたり、色んな空想をし、いつ来るか分からないまどろみを待った。

私は割と神経質な子供だったと思う。
周りのことを気にし過ぎるくせに我が強い。相反した性質の正面衝突。

そうは言いながらも、特に母親には愛情も気にも掛けて貰い育ったと思う。
ただ母は母で、明るく愉快な人ではあったけれど、子供の目から見ても多忙な上に、父に振り回されている姿を見ていたので、とにかく迷惑をかけない様にと気を遣った。

子供ながらのトラブルなんかを親に相談してみようかと悩む時なんかもあったが、やっぱり相談できずに自分の中で収めたり、自分で「大丈夫、大丈夫。」と呟き、その疑問に見てみぬふりをしてやり過ごしていた。

変な意地を出さずに親に甘えていたらなとも思う。

その末に「大丈夫よ。」と、ひとこと言われたならあの頃ずいぶん楽だったのかもしれない。

今だにそんな事を思うことはあれど、別に恨み節を唸るわけでもない。
そもそも、そんなに人に期待するタイプでもない。
愛情は感じていても、そこに期待するのは自分勝手な事だとさえ思っていた。

ただ小さい頃、一番味方であって欲しかった人に一番言われたかった言葉なのだと思う。

そんな気持ちを微かに残して私は母の整えた布団に寝っ転がり成長していった。
私は大きくなり、布団も小さい頃より随分綺麗に整えられるようになってきたが、寝坊で飛び起きるような朝なんかは、家に帰るとやっぱりピシッとした布団が私の部屋で待っていた。

私は大人になり社会人になった頃、いっとき今で言う心療内科に通った時期があった。
その時「"大丈夫"ですよ。」と、声を掛けられ泣きそうになったことがある。
何でもない言葉なのに、私はこんな言葉が欲しかったのかと、今まで自分の気持ちを蔑ろにしてきた事に落ち込んだ。

そしてその数年後、夫と出会った。

夫は穏やかな顔でいつも「大丈夫。」と言ってくれる人だった。
何ならそれが彼と付き合う決め手だったと言ってもいい。
どうやら私にとって「大丈夫」という言葉は私の人生において、たまらなく焦がれ欲した言葉のようだ。


今、私は結婚をし毎日一生懸命、家族の布団を直して………直してはいるのだが、私のベッドメイキングはどうやらそもそも下手らしい。

何故なら夫が寝る前に直してくれているからだ。

確かに私は毎回ベッドメイキングを終えると息を切らしている。こんなに体力が必要な家事ではないはず。雑で要領が悪いのだろう。

私が寝る時には、私が直した時とはあからさまに違い極上に整えられた布団が私を迎えてくれる。

ピシッとしたシーツに角が揃えられた上掛け。もう何なら「私、お布団直す必要無いんじゃナイ?」って思うほどにやり直されている。毎度直されているのだから、私にとって無駄な家事No.1である。THE⭐︎二度手間。

そんな理不尽な無力感をそこそこに、私はすっかり整えられたベッドに1日の疲れで重くなった身体を預けるのだ。

その度に、小さい頃背中を預けたシーツの感覚が蘇る。一筋のヨレもないシーツに気持ちよく身体を預けるあの感じ。

眠れない夜だったけれど、心地良く何より温かい。

昔は母の手で、今は夫の手で、布団が私のために綺麗にしてある。
そして、父の「お姫様」の言葉の代わりに夫が「大丈夫」と、声を掛けてくれる。

一人で生きているつもりでひとりではない。形は変われど、大事なものを日々受け取り私は1日を終える。

毎晩ベッドにもぐりこむ時に私は「有難いねぇ。」と呟き、とてつもなく私は幸せ者なのだということ、いつの時も周りから愛情を貰っているのだと感じて眠りにつく。

寝つきが悪いのは相変わらずだけれど。













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