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小学3年生の反乱。

私は自分で言うのもなんだが、子供の頃から大人しい方だった。更に子供の頃は食が細く体も小さく体力もない。
気も弱くて授業中「トイレに行ってもいいですか?」なんてとても言えやしない。

この勢いで言っちゃうけど!
実は入学したて小学1年生の理科の屋外授業(学校の裏山)で「おしっこに行きたいです。」と、ついぞ言えず人知れず漏らしてしまったことがある。

この時、4時間目。漏らした後息を潜め、ずっと口をつぐみ、誰にもバレずに下校までやり過ごした。
見事な完全犯罪をやってのけたのだ。

あああああ!!言ってしまった!!


でもその位、空気を読みすぎると言うか色々と気にしちゃうお子様だったのだ。

年齢が上り、集団生活をしていると周りと自分を自然に比べる事が増え、3年生にもなると自分がどういう人間かうすうす分かってくる。

そして、色々と自分を取り巻く環境にほとほと嫌気が差してきたのもこの頃だった。

朝の分団登校から嫌だった。集合場所が学校と反対方向。威張る上級生。登校したらすぐに冬でも半袖半ズボンの体操服に着替え校庭に出てトラック3周をする決まりがあった。
スピーカーからは運動会に流れる曲から宇宙戦艦ヤマト、キャンディキャンディ、一休さんの曲。

子供なのに寝付きが悪く、慢性睡眠不足の私には朝一マラソン。キツイ。
一休さんの曲の1フレーズ

「♪あ〜あ〜南無三だぁ〜」


顔に青筋立てながら"ホンマにその通りや"と一休さんに妙なシンパシーを感じながら一周300メートルのトラックを走り抜けた。

そんな調子なので、しょっちゅう頭痛と吐き気で保健室にお世話になり早退をしていた。

授業は年を追うごとに求められる事が多くなり、辛くなる。
なにより当時、食の細い私には給食が苦痛で仕方なかったし、ついでに言うと集団行動に必要なスキルが欠けているようで、通知表にも常に「落ち付きが無い。話を聞いていない。」と書かれていた。

そもそも一々「なんで?」と疑問に思う子供だったので一つ一つの慣習が不思議で仕方なかった。

毎日毎日、学校へ行くのは嫌な事が多すぎた。もう学校生活3年目にして学校に飽きていたのだ。

そして3年生に入ってすぐそのピークはやってきた。

当時、遠足は春と秋の2回有った。秋は学習を兼ねたバス旅行なので良いのだが、問題は春の遠足。
文字通り「足で遠くに行く。」

めちゃくちゃ歩かされるのだ。

1日たっぷりかけて歩き、夕方帰ってくる。
目的地に到着しても1時間ほどお弁当と自由時間があって直ぐ出発。しかもその目的地が何もない運動場とかクリーンセンターとかなのだ。
(クリーンセンターはまだ学習と言う側面があるからまだマシ。)

そんな3年生の春の遠足。駅4つ分先のとある城址公園。どうか田舎の駅、4つ分を舐めないで欲しい。
しかも公園といっても何も無い。ただの広い広場。城址っていってももう跡形もなく石碑がある位。
「何のために??」と、連絡プリントを見ながら本気で思った。

もう嫌で嫌で仕方がなかった。
嫌で嫌で嫌で嫌で迎えた当日。朝、学校に着く。
校庭に集合しクラス別に並ぶ。
1クラス約40人が6クラスもある人だらけの集合場所に早くも疲れてくる。

思った。

「行かない。」

もう、そう思ったら早かった。
ただ「嫌だ。行かない。」では、通らないも承知。

私は生まれて初めて禁断の「仮病」の行使をした。

出発10分前。慌ただしく準備する先生の元に行き「先生、朝からお腹が痛くて体調が悪いです。」と言った。
普段から保健室にちょくちょくお世話になりに行く私。その普段の様子が功を奏したのか、先生は疑いもせず、すぐに「保健室に行って来い」と私を促した。

そもそも、遠足を嫌がる生徒なぞ滅多に居ないのだろう。そんな思い込みの隙間にガードも下がっているハズ。勿論、先生が忙しく生徒一人に構ってられない事も織り込み済みだ。

「してやったり。」
我ながら小心者がよくこんな駆け引きをしたなと感心する。ついでにこのとき凄い悪い顔をしていたと思う。デスノートの夜神月ばりに。

保健室に行き「朝から調子が悪い。吐き気がある。」と訴えた。熱は無し。(仮病だから)

保健の先生は少し心配した顔して「遠足行けそう?」と聞いてきた。

そもそも私はトイレに行きたいと言えず、おしっこを漏らす位に超絶小心者だ。
ズルをしたいために嘘をつくなんて神(私の良心)に楯突く所業。そんな悪い子は神の怒りを買い堕天使(不良)になることだろう。(大袈裟)

でも大袈裟ながらそのぐらい頭の中で「行く・行かない」を繰り返した。
でも気持ちは完全に「行かない」なのだ。

しばらく沈黙したあと絞り出すように

「…………行けません。」と言った。

私は堕天使(不良)になる事を選んだ。(大袈裟)

この先生の問いが遠足に行くか行かないかの最後の選択だった。
でも私は自分の意思で「行かない」と言った。


この日の遠足は3年だけでなく幾つかの学年が遠足日となっていて、校門から蟻の行列のように出てゆく何百人の列を眺めていた。
あの中に自分がいないことが不思議だった。

発熱者はそのままお迎え、帰宅となったのだが、何故か私みたいな腹痛程度や怪我で元々参加出来ない人など軽症者(?)は昼まで学校に居ることになるらしい。

ざっと軽症者は5.6人程いただろうか。
学年別に簡単なプリントをこなし、普段は入れない校長室を見学した。
春の穏やかな日差しが心地いい。
私は待機場所の会議室から校庭をぼんやり眺め、"今みんなはどのあたりを歩いているのかなぁ。"なんて思った。

昼になり、お弁当を開けた。
小食の私が残さないようにと小さなお弁当箱に工夫が凝らされた色とりどりのおかず、小さな俵のおにぎり。
一年生の時も二年生の時も遠足のお弁当はそうだった。朝早く起きてお弁当を作る母の後ろ姿を思い出して、ちょっとした罪悪感を覚えお弁当を食べた。

でも全く後悔は無かった。清々しい位だった。

一週間後。
遠足の時の写真が貼り出された。
そこにはもう桜がほぼ葉桜に変わっている中、笑いながら遊んだりお弁当を食べる友達の姿。そこに私は居ない。

「テッちゃんも行けたらよかったのに。」
と、友達は言ったがやっぱり行けばよかったとか、羨ましい気持ちにはなれなかったのを覚えている。
ただ、"もし行っていたらば"という世界を少し想像した。


遠足に行った私。
遠足に行かなかった私。

こんな瑣末な出来事、どっちを選んだって未来の私に何が変わるということは無かったかも知れない。
でもこの出来事が今でもしっかり覚えていることを思うと、きっと私にとって大きな選択肢の一つだったのだと思う。

この小さな反乱をやってみたから納得したこともある。
ガスの抜き方、遠足に行かなかった世界があること。こんな小学生の自分でさえ、それが選択できる自由があること。

反対にこの反乱をせず、大人しく遠足に行った事で気づいたことも良かったこともあったかと思うが、まぁ、それは結果論だ。

それでもやっぱりどこかで「あの時、行かなくてよかった。」と今でも思っている。

この時この小さな反乱を起こさなければ学校に行きながらも苦痛を感じ続け、無気力ながら残り3年を過ごしていたと思うし、ひょっとしたら盗んだバイクで走り出す本格的な堕天使になっていたのかもしれない。


反乱には意思がある。

反乱は大きくなくったっていい。意思のある決定は自身の納得につながるし、やがてそれが自分の自信や選択の指針につながっていくのだと思うのだ。
反乱の先には革命があるのだから。

あ。結局堕天使(不良)にはなりませんでした。
面倒くささもあったが、中高の制服スカートの丈さえ直さない真面目っ子になりました。

盗んだバイクで走り出すどころか、高校では自転車を盗まれ絶望が止まらない思いをした事がありました。

「そこんとこ夜露死苦!」より、部活で後輩より先に帰る時の挨拶は「後は"よろしくメカドック"!」を多用する明るい女子になりました。

アタシ、天使じゃん。

*おまけ*

このよろしくメカドックの画像が欲しくてAmazonのページを開いたらさ、

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ケニヤ!!!


……私の家は……日本ではなく…ケニヤだった…?




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